今村 欣史書 ・ 六車明峰連載エッセイ/喫茶店の書斎から ◯ 吉田義男の「徹」元阪神タイガース監督の吉田義男さんがお亡くなりになったというニュースを聞いて思い出した。70年ほども昔の話。貸本屋さんが盛んな時代のこと。まだ小学生だったわたしは、風呂屋の隣の田中のおばちゃんがやっていた貸本屋さんに出入りしていた。あのころは銭湯の近くには必ずといっていいほど貸本屋さんがあったものだ。わたしは主に手塚治虫などの漫画本を借りていたのだが、野球雑誌を借りたことがあった。そして、こともあろうにブロマイド代わりに写真を切り抜いたのである。近所の巨人ファンの子と一緒に。彼は巨人選手の、わたしは吉田選手がジャンプしている写真。わたしはその本を素知らぬ顔をして返した。バレないと思ったのだ。悪い子だった。さらにバカだった。後で父親からこっぴどく叱られた。吉田さんについてはもう一つ強烈な思い出がある。父親に連れて行ってもらった甲子園球場での野球観戦。牛若丸と呼ばれた華麗な守備とシュアーなバッティングで鳴らした吉田選手。相手は国鉄(現ヤクルト)スワローズのエース金田正一。生涯勝利数、400というとんでもない記録を持つ大投手だ。その金田が大の苦手にしていたのが吉田選手だった。わたしが見ている前で、吉田選手は金田投手の速球をものの見事にセンター前にはじき返した。試合の経過は覚えていないが、そこで金田は、マウンドを自ら降り、スタスタとベンチに下がってしまった。監督がピッチャー交代を告げに出る前に降りてしまったのである。金田天皇と呼ばれた所以である。『阪神タイガース』(2003年・新潮新書)という本がある。京都市立第二商業野球部時代のことが書かれている。薪炭業を営んでいた父親が昭和24年に亡くなる。わたしも17歳で米屋を営んでいた父親を亡くす経験をしたが、個人営業の家は大黒柱が亡くなると大変である。家族の人生が変わってしまう。吉田さんの野球人生も大ピンチだった。だが吉田家は、お兄さんが「店の方は大丈夫だ。オレに任せておけ。義男、おまえは、野球を思い切り頑張るんだぞ」と言って店を継いでくれたという。そのお兄さんも好きで野球をやっていたのだが、諦めたというのだ。また、《野球部の同級生も「吉田を助けてやろうや」と練習帰りにわたしの家に立ち寄って、店の手10786
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