KOBECCO(月刊神戸っ子)2025年4月号
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THESTORYBEGINS-vol.53■ヴィジュアリスト/映画監督■手塚 眞さん今から55年前の1970年、大阪で日本初の万博が開催された。「当時、万博会場へは2回、父や家族と一緒に行きました。私は8歳でした。父と一緒に月の石などを見た思い出が残っています」と振り返る。「私が最も衝撃を受けたのは横尾忠則さんがデザインしたパビリオン『せんい館』。遠くから見ると、足場が組まれ、そこで作業する人たちがいるので〝まだ、建設中なのか?〟と新作の小説や映画に新譜…。これら創作物が、漫然とこの世に生まれることはない。いずれも創作者たちが大切に温め蓄えてきたアイデアや知識を駆使し、紡ぎ出された想像力の結晶だ。「新たな物語が始まる瞬間を見てみたい」。そんな好奇心の赴くままに創作秘話を聞きにゆこう。 第53回は、今月開幕する大阪・関西万博に兵庫県から〝フィールドパビリオン〟の一つとして参加する「宝塚市立手塚治虫記念館」の手塚眞・名誉館長。父である手塚治虫が〝未来へ込めたメッセージ〟を長男として、また自身、映画監督などとして活躍するクリエーターという立場から〝父がマンガやアニメに託し、成そうとした思い〟を紐解きながら語ってもらった。宝塚や神戸で培われた創作の原点……万博と連動した企画展のメッセージとは⊘ 物語が始まる ⊘同館で開催中の企画展「手塚治虫『ガラスの地球を救え』」のコンセプトを説明するなかで、手塚名誉館長は何度もこの〝自然と科学〟を相反する概念としてとらえていなかった父が託した未来へのメッセージを強調した。大阪・関西万博に合わせ、兵庫県では県全体を万博の〝フィールドパビリオン〟に見立てて参画。同館では、この企画展を万博に連動させる形で開催している。自然と科学「自然と科学。この二つは、ふつう真逆にとらえられていますが、父のなかでは、科学の元に自然があり、密接につながっていました」手塚名誉館長はこう語り始めると、「自然と科学、そして命はつながっていて、マンガやアニメの世界から〝生命の尊さ〟や〝自然の素晴らしさ〟を父は発信し続けていたのです」と続けた。文・戸津井 康之撮影・服部プロセス20

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