KOBECCO(月刊神戸っ子)2025年4月号
118/124

英国生まれのアーサー・ヘスケス・グルーム(Arthur Hesketh Groom)が神戸にやって来たのは明治元年。つまり、彼の日本における充実した人生は、明治とともにあったと言えるだろう。日本が急速に近代化を成し遂げ、国力を強化させたこの時代の君主は明治天皇だが、神戸沖での観艦式や姫路での観兵式があると、グルームのもとに菊の御紋の招待状が届いたという。ある観艦式後の食事会では「大帝」こと明治天皇の向かいの席が用意され、とても喜んだそうだ。これがいつなのか明記された資料は見当たらないが、神戸沖では1890年に海軍観艦式、1900年・1903年・1908年に大演習観艦式がおこなわれているのでそのいずれかだろう。中でも1903年の観艦式は英国海軍の戦艦と防護巡洋艦が参加し、この前年には第一次日英同盟が締結されている。天皇とテーブルをともにしたのが1903年だとすると、前回ご紹介したようにこの翌年に勃発した日露戦争でグルームが日本を熱烈に応援したのも合点がいく。さて、神戸ゴルフ倶楽部で一番短い17番コース「Shorty」のティー付近に、巨石が横たわっていた。これを木のコロに乗せて牛に牽かせ、2か月かけて移動。この表面に当時の兵庫県知事で、神戸ゴルフ倶楽部の記念すべき第一打をチョロっと転がした服部一三が「六甲開祖之碑」と揮毫し、裏面には有馬郡長の長有留清の叙文も刻まれ、現在のビジターセンターのある丘に、聳えるように立てられた。この「六甲開祖之碑」は、六甲山をレジャーの地として開発しつつ環境保護にも努めて「六甲市長」とよばれたグルームを顕彰するもので、唐櫃村のよびかけに有野六甲山の父連載Vol.12A.H.グルームの足跡六甲開祖の最期118

元のページ  ../index.html#118

このブックを見る