芦屋市立公民館では多彩な公民館講座を開講しているが、その一つ、兵庫・神戸のヒストリアンこと田辺眞人先生の講座「文化の歴史」では阪神地域から世界まで現在の文化を歴史的に学べると好評だ。開講から15年となる令和6年度秋シーズンは阪神・淡路大震災から30年の節目を迎えることもあり「天災・人災と阪神間地域」と題する全6回の連続レクチャーで、その4回目が1月30日、芦屋市民センター別館でおこなわれた。会場は100名近い大盛況。この日は前回の続きで、近畿の震災の歴史を学んだ。まずは公家、山科言ときつね経の日記『言経卿記』から文禄5年(1596)閏7月12日から13日の深夜にかけて発生した地震についての記録を解説。言経はその時京都の本願寺にいたそうで、お堂がかがわかりますね」と田辺先生。兵庫はこのとき「折おりふし節火事出いできたる来了」、ことごとく焼かれ死者その数を知らずと記録されている。そして1169年から1752年にかけて代々の須磨寺の住職が毎年その年のできごとを記した書物『当山歴代』を読解。文禄5年閏7月12日の大地震について、本堂が山崩れに巻き込まれて81歳のお坊さんが1日かけて救出されたことなど須磨寺の被害状況が記されている。そしてここにも兵庫について家屋倒壊、火災、延焼、死者多数という記述が。続いて『有馬縁起』から有馬温泉の被害状況を紹介した。ここで田辺先生は「火災の記録があるのは兵庫だけです。たぶん火災が起きたのは兵庫だけではないはずですが、なぜ兵庫だけ大きな被害が出たのでしょ15年続く公民館講座 『文化の歴史』芦屋市立公民館ひょうご神戸まちかど学だより倒壊し本願寺だけで300人もの死者が発生したようだ。それに続いて言経が収集した情報も記載されているが、注目したのはその順番。宮中、京都と伏見、山崎と八幡に続いて兵庫のことが書いてあることから「兵庫がいかに重要な場所だったか94
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