KOBECCO(月刊神戸っ子)2025年3月号
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務めたことです。その前々年度1992¦1993年度、大白勝さんが3カ月の期間を残して最高裁判事に就任された際、副会長の私が残任期間の会長代理を務めた経験があり「会長は二度目」のような気分で、また有能なスタッフに支えられあまり苦労はなく務めておりました。RI会長はビル・ハントレー、「Be a friend(友達になろう)」と分かりやすいテーマでした。クラブ方針は「伝統と品格を重んじながら楽しい例会にする。他のクラブにメークアップする際は原則として途中退場しない」としました。若い会員を増強し、70周年記念事業に協力して記念誌の制作を進めました。またガバナーノミニーの松岡通夫会員を支援し協力するという方針を決めていました。一転して、神戸RCで一番哀れな震災会長にところが、年末年始と徹夜続きで忙しい時間を過ごし、くたびれ果ててぐっすり眠っていた95年1月17日未明、激しい揺れで目を覚ましました。午前5時46分、阪神・淡路大震災発生。外に出てみると拝殿は地に這っています。「うるはしき 唐破風持ちし拝殿は 地上に這いて獣の如し」こうして私は、神戸RC歴代会長の中でもおそらく一番哀れな震災会長となってしまいました。水、電気、ガスが来ない、電話もFAXも使えない中で、とにかく会員の安否を調べなくてはならない。そんな時、ふと「19日は例会日だ」と気付き、「中止」の張り紙をしようとオリエンタルホテルへ行ってみると閉鎖され、中はめちゃくちゃで再開の目途も立っていないとのこと。事務局も例会場も無くなってしまいました。チャーターメンバーで103歳という神戸RC最高齢であり象徴的存在であられた竹田正治会員が震災により逝去されるという悲しい出来事にも遭遇しました。会長として何とかしなくてはならない。会員の動静やライフラインが落ち着いてきた3月初め、私は生田神社会館の宮司室を事務局として開放する決断をし、4階大ホールで例会を再開しました。当時の計馬ガバナーが例会に来られ、「ロータリーをつぶしたらいかん。出席率にこだわらず、出て来られる人だけで情報交換するだけでいい。とにかく頑張ってください」と激励の言葉を頂きました。 全国各地、全世界RCからの支援、激励に感謝非常にありがたかったのは、神戸RC1994-95年度会長第2680地区2006-2007年度ガバナー生田神社 名誉宮司 加藤 隆久さん79

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