長年の例会場オリエンタルホテルが炎上。別の会場を転々としながらも、戦中戦後一度も休むことなく例会は継続された。しかし退会者も増え、活気を失う中、8月15日の終戦を迎えた。戦後、東京RC・小松隆氏が日本のロータリー復帰協議会委員長となり各クラブに復帰を説き、神戸でも木曜会の例会のたびに議題に上がった。国際ロータリー復帰から充実の時代へ1949年3月31日、神戸仮RCの創立総会が燐寸会館で行われ、新会長に鈴木岩蔵氏、幹事に百崎辰雄氏を選ぶ。4月13日、正式に国際本部で承認登録され、神戸RCが再スタートを切る。6月2日、チャーターナイトが進駐軍将校やアメリカ副領事、知事、市長をオリエンタルホテルに招いて開かれた。チャーターメンバーは46名。10月30日、六甲の松泉館で家族会バザーも開かれた。翌年6月、神戸RC創始者・松方幸次郎氏が亡くなり、会員一同、その死を悼み冥福を祈った。1953年、第61地区第2回年次大会を神戸で引き受けたが、当時は千人を超す人数を収容できる場所はなく、接収を解除されたばかりの朝日会館で開催。この席には高松宮もご臨席された。2日目は宝塚大劇場を会場とし、武庫川の河川敷で園遊会を催し好評を得た。神戸RCは第365地区に属すことになり、1957年、第370地区と合同年次大会が、会場に苦慮することなく完成して間もない神戸国際会館で開催された。1959年、神戸RC創立35周年祝賀会がオリエンタルホテルで、続いて1964年には京町に移転した同ホテルで40周年祝賀会が開かれた。1968年に台湾の新竹RCと姉妹クラブ提携を結び、翌年、青少年交換による国際奉仕活動がスタートする。続いて1973年にはシアトルRCと姉妹提携を結ぶ。同年、平島健次郎氏がRI2680地区ガバナーノミニーに指名され1974--1975年度ガバナーに就任。1975年には、懸案だった「神戸ローターアクトクラブ」が承認され、翌年、認証状伝達式が行われた。新竹RCとの姉妹クラブ提携式(1968年)シアトルRCとの姉妹クラブ提携式(1973年)71
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