KOBECCO(月刊神戸っ子)2025年3月号
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刑事らしかった。役者は集団場面でどこまで存在感を出せるかが勝負だが、笹野さんも集団の中でも確かに“実存”していた。この役者はボクの次回作で必ずキャスティングしようと思った。翌年に撮ることになるとは思っていなかった『岸和田少年愚連隊』(96年)では、東大卒のけったいな中学教師になりきって、軽妙に演じてくれた。この頃、観たのが『ブロンクス物語/愛につつまれた街」(94年)だ。「愛につつまれた街」は公開時の付け足しの邦題だが、ちょっと余計かな。でも、あのロバート・デ・ニーロが初監督して主演した、彼の人生観が見える作品だ。デ・ニーロが生まれ育った60年代のニューヨークのブロンクスを舞台に、イタリア移民の厳格なバス運転手の父と思春期のヤンチャ息子の話で、息子が地元のマフィアのボスになついてグレかけて騒動を起こしかけるが、ボスに助けてもらって……と。下町らしい心暖まる人間関係を描いていて、ボクを和ませてくれた。デ・ニーロはマフィア役ではなく厳格な父親役で、奈良の実家で謹厳実直に生きてボクを見守ってきてくれた父親とダブって胸がつまった。挿入曲の入れ方もデ・ニーロ監督はセンスが良かった。フランク・シナトラ、トニー・ベネットのスタンダードジャズなど何十曲も散りばめられていて、チンピラたちの乱闘場面では、ビートルズの「カム・トゥゲザー」まで流れてきて鳥肌が立った。挿入歌で映画は豹変するのだと改めて思った。昔の拙作、『ガキ帝国・悪たれ戦争』(81年)でも、主人公の気分を盛り上げようと選んだ一曲がある。♪フレッシュ フレッシュ フレーッシュ♪の松田聖子の「夏の扉」だ。主人公の不良少年が喧嘩して逮捕された後、パトカーの窓外を流れる大阪の下町の風景画面に重ねると、曲想とは真逆に、少年の孤独感が一気に高まる場面に豹変して、音効スタッフも涙ぐんでいた。その感じがそのまま観客に伝わることを願ったものだ。昔のアメリカンニューシネマ、『真夜中のカーボーイ』(69年)の中で、何度も流れたニルソンの「噂の男」は挿入歌の手本のような曲だ。ポップスとの見事な合わせ技で作られたニューシネマは今も色褪せない。サイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」や「ミセス・ロビンソン」が流れるダスティン・ホフマン主演の『卒業』(68年)も時代を越えた青春映画だ。何回観ても面白い。ボクはそんな映画たちとスクリーンで出会い、得たものを糧に生きてきた。今、流行歌と映像がひとつになって胸に迫ってくるような映画がない。残念でならない。今月の映画『県警対組織暴力』(75年)『ブロンクス物語/愛につつまれた街」(94年)『卒業』(68年)47

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