KOBECCO(月刊神戸っ子)2025年3月号
18/148

残された時間に誰かのような人間になりたい。僕の中の幼少年が考えているんですかね。誰かの伝記や自伝に興味があるのです。伝記、自伝に興味をもつということは年齢を忘れています。もしかしたら、長生きの秘訣かもしれません。僕は子どもの頃から、大勢の人に憧れてきました。1人や2人ではなく、田中さんも話していましたが、「推し」の「推し」というのか、憧れの対象の人が、かつて憧れた人にまで遡って、その人のことまで知りたくなるというか、人と人は連鎖するんですよね。のではないのです。人間が成長するためには、やはり他人をサンプルにして考えます。身近にいる人間よりも、その存在に手が届かない人に憧れます。子どもの頃は、偉人を主人公にした絵本が好きでした。自分はどのような人間になりたいかといっても、漠然としていてよくわかりません。老齢になった今でも、どのような人間になりたいのか、とそんなことを考えていることがあります。余生もあまりない老齢に達していても、子どもの頃の気持ちとさほど変わっていないようです。「推し」という言葉について、編集部の田中さんから聞くまで僕は気づきませんでした。次々と新しい言葉の概念が流行るんですかね。僕なんか、世間と鎖国しているようなものですから。現代のような複雑多様な時代になると、逆に世間から離れたくなります。僕はひとりっ子として育てられたので、1人でいることに慣れているというのか、孤独でいることが普通だったんですよね。だから社会とか他人と交流したいという願望は少なかったと思います。といって他人が嫌いというTadanori Yokoo美術家横尾 忠則撮影:横浪 修神戸で始まって 神戸で終る 連鎖と結合が作る横尾忠則の人間地図18

元のページ  ../index.html#18

このブックを見る