〝転機〟の地は神戸1998年、小説「赤目四十八瀧心中未遂」で直木賞を受賞した作家、車谷長吉(1945~2015年)は、兵庫県飾磨市(現在の姫路市)で生まれ育ったが、神戸との縁が深いことをご存じだろうか。今年、2025年は車谷の没後10周年という節目の年でもある。車谷は、第二世界大戦終戦の日、1945年8月15日の約一月前、7月1日に現在の姫路市で誕生した。2011年、車谷が亡くなる4年前、65歳のときに刊行した彼の自伝「人生の四苦八苦」(新書館)のなかに、「お好み焼きの思い出」というタイトルの興味深い、こんな一文が載っている。《私は昭和二十年七月、敗戦末期に播州の農村に生まれた。だから小学生の頃から、お好み焼きが大好きだった》 終戦後、地方の農家の長男として車谷は幼少期を過ごした。家計を支えるために、幼いころから働き、親の仕事を手伝っていた。「お好み焼きの思い出」はこう続く。《隣り村の県営住宅に、上海帰りの老夫婦が「笠岡お好み焼き店」を開いていたので、そこへよく行った。私方は貧乏百姓で、父が自転車の後ろに京都から仕入れた呉服を積んで、近郷近在の農家に売り歩いていた。家では養鶏もしていたので、その卵を、月に一度「笠岡」へ売りに行くのが、私の役目だった。行けば、かならずお好み焼きを食べた》この連載で紹介した画家、東山魁夷が神戸で育った少年時代、「自分は決して画家になれるとは思わなかった」と語っていたのと同様に、車谷も少年時代、「作家になれるとは思っていなかった」と打ち明けている。ただ、東山が幼いころから画家に憧れていたのと同じく、車谷もまた、小説家に憧れて育った少年だった。彼に影響を与えた作品のひとつが、夏目漱石の名作「こころ」だった。《一晩徹夜で読み終えた時、自分も将来、作家になりたいと思うた。が、なれる、とは悪夢にも思えなかった。だから、二はたち十歳半ばの頃、私が郵便ポストに投函した投稿の小説原稿が「新潮」に載った時は、私はもうそれで充分満足した。これで作家になれる、などとは、ひとかけらも思いもしなかった》漱石の「こころ」を徹夜で読みふけり、衝撃を受けたのは、神戸偉人伝外伝 ~知られざる偉業~前編車谷長吉一度は作家の道を断念…神戸で決意した再起142
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