KOBECCO(月刊神戸っ子)2025年3月号
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今村 欣史書 ・ 六車明峰連載エッセイ/喫茶店の書斎から ◯  村上翔雲の書大切にしている本はたくさんあるが、これもそのうちの一冊。『ひょうごの野の書』(神戸新聞出版センター刊)。著者はわたしが尊敬していた書家、村上翔雲(1932年~2011年)。以下、翔雲師と呼ぶ。名著である。発行は昭和58年。今ではもう作るのは不可能だろう。二年余、兵庫県下をくまなく歩き回って成ったもの。「あとがき」にこうある。《「君たち書家が、今やらなくて、一体だれがやるのか。開発という名の暴力と、人間モドキどもの心ない仕わざによって、道しるべも地蔵さんも、みんな姿を消していってるではないか。いまこそ……」と、励ましの声がかかる。かくて僕は、身すぎ世すぎのわざを打棄らかし、執拗に野山をさまようことになる。》兵庫県下の詩碑、歌碑、句碑などの文学碑や道標などが拓本写真とともに紹介されている。その拓本集めの苦労の一端が「先山鐘銘」(洲本市先山 千光寺境内)の項に載っている。《採拓は鐘楼へよじのぼることから始まる。足場の高さは約二・五メートル。鐘の真下の床が四角に切られているので少々危ない。はしごを引っぱり上げ、転落防止策を講じてから作業にかかる。》そうして集められた「書」が、百十一点。先の「あとがき」の中にある励ましの声をかけたのが兵庫県文化の恩人ともいえる我が宮崎修二朗翁(のじぎく文庫初代編集長)だ。拓本行脚にも同行し全面的に協力された。「あとがき」の最後にはこうある。《そして最後になりましたが、この二年余り県下各地をご案内下さり、各種資料の提供などご指導下さった宮崎修二朗先醒に深甚の謝意を捧げます。ありがとうございました。》この一年後に、宮崎翁が『ひょうご歌ごよみ』(宮崎修二朗著・兵庫県書店協同組合刊)を刊行。この本の付録にと、翔雲師が肉筆の短冊を、謝意を込めて提供されている。書かれているのは兵庫県文化の父と呼ばれた富田砕花師の短歌。  しんとろりこはくのいろの滴りの  澄めば澄むもの音のかそけく実に3500枚。これは大変な数である。タレントなどがサインを書き散らすのとはわけが106114

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