第13回でお話しした通りです)のことで、これが均一であるには、粒子同士がお互いに「交流し合う」、つまり衝突し合って、エネルギーの交換をする必要があります。現代ではそうではありませんが、昭和の時代の風呂は、焚いた直後は湯の温度にかなり偏りがあって、表面は熱くて触れられないくらいなのに、底のほうはぬるかったりしたものでした。ですから、風呂場には櫂が備え付けられていて、最初に入るときには、その櫂でよくかき混ぜて湯温を均一にしてから入ったものです。このとき、湯の温度が均一になる仕組みは、櫂を動かすことによって、湯を構成する水分子が動き、熱い、つまりエネルギーの高い水分子と、冷たい、つまりエネルギーの低い水分子とが衝突し、互いにエネルギーを交換し合って、均一なエネルギー(温度)となるものです。これが粒子同士の「交流」です。この交流は、櫂を動かす速度以上では進まないのです。宇宙の温度を均一にするには、やはりこの粒子同士の「交格差が大きく開いていたために、いっぽうがもういっぽうを征服するような悲劇も起きました。このように、「交流」がない地域間では、さまざまなことが大きく異なっていくのが当然ではあるのです。では、宇宙のことに話を戻すと、「地平線」が広がって、それまで「暗黒の地」だったところが見渡せるようになったとき、その場所はそれまで認識していたところと大きく違っていたのでしょうか。ここで、第14回で採り上げた「宇宙背景輻射」をもう一度思い出してみましょう。これこそがビッグバン宇宙論が正しいという証拠の最たるものでしたよね。そしてこれは、全天で均一なものでした。実はごくわずかだけ「むら」があり、それが銀河の素となるのですが、それは本当にごくわずかで、ほとんど均一と言っていいものです。「地平線の向こう」にあって、互いに相手が「暗黒」であったのに、なぜか完璧な「文化交流」があったかのように均一なのです。ここでいう「均一」とは温度(粒子のエネルギー密度の平均値であることはグバン宇宙論が正しくて時間とともに広がっていると考えた場合、かつて宇宙はもっと小さかった、つまり「地平線」の範囲はもっと狭くて、それがどんどん広がっていって、現在の「地平線」になった、と考えられます。初期のころはほんの短い距離のところまでしか見えなくて、近くのものしか認識できなかったのに、だんだん遠くまで見渡せるようになっていったことになります。ところで、我々の地球は、大きさこそ変わりませんが、移動手段の発達によって、はるか遠く、地球の裏側にまで短時間で行くことが可能になりました。それまで行ったことのない場所は未知の世界で、なにがあるのかわからない領域でした。欧州から見て、その南側にあるアフリカは、かつて得体の知れない「暗黒大陸」だったのです。欧州の人がアフリカに足を踏み入れたあとでも、次は大西洋を渡った「新大陸」は大航海時代までは「得体の知れない場所」でした。そして、その「互いに情報をやりとりしない」状態から、急に往き来できるようになると、その文明63
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