KOBECCO(月刊神戸っ子)2025年2月号
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伝記的エッセイを『波乱ヘ横尾忠則自伝』と呼んだが、これは出版社の戦略で命名されたタイトルであったように思う。ここで「波乱万丈」について辞書を引いてみた。事件などの変化が激しいこととある。そうか、事件なんだ。別の辞書では、「波はらん瀾」の「波」は小さい波。「瀾」は大きい波の意で、物事に変化、起伏の有ること。「万丈」とは両面の変化が激しいことで、ものごとや騒がしいことを表す。と考えると、僕に与えられた「波乱万丈」はやはりのである。もう充分生かされたと思っている。山本さんの言う波乱万丈とは、僕のように人まかせというよりもむしろ、運命と戦いながら激突する人生を切り拓いて、弾丸の中を前進していく野人的な人間を僕は想像するのだが、つまり自我意識によって社会を切り拓いていく、そんな戦士のようなイメージを描くのだが、どうだろう。だから僕を背反した生き方の人物こそ、波乱万丈的ではないかと思う。以前、僕の然、左だと指示がでる。そして左に従うと、やっぱりどこそこだとなる。でもそれに逆らうことなく、かなり忠実に従ってきた。そして、その時期に最もふさわしい場所に着地する。僕は本当にこのような生き方をしてきた。その結果が、今の僕の場所であり、今後もこのパターンは続くと思うし、その時の条件に従うつもりである。そしてその運命パターンが終る時が死である。だから、死をそんなに恐れていない《1936年、一人の男が真実の追求のために生まれた》1988年 横尾忠則現代美術館蔵《大入満員》1994年 横尾忠則現代美術館蔵18

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