外国人の保養やレジャーの場となったが、その頃彼らはどのようにして神戸の市街から山上に通ったのだろうか。当時の記録によれば、現在の摩耶ケーブル駅にほど近い五ごもう毛天神まで人力車でやって来て、ここで山駕籠に乗り替えたという。その駕籠が通う小径はグルームが出資して近隣の人々に依頼し切り拓いたもので、駕籠屋さんも仕事の合間にその普請にあたった。グルームは駕籠屋にならないかと自らが勧めた横田与吉が運営する横田駕店を愛顧し、六甲山が開発されるにつれ競合が出現すると与吉に旗や法被を贈って応援したが、そこにはここが元祖とわかるようにと「MOTOKAGOYA」と記してあったという。グルームははげ山だった六甲山の緑化を行政に働きかけるだけでなく、朝夕の散歩の際はのこぎりやはさみを手にして伸び過ぎた枝を切り落とし、生い茂る雑草を抜き、紙くずを拾い集めた。また、邪魔な石は取り除き、路面を蒲鉾状にして排水を良くし、白い砂を撒いて夜でも歩きやすいようにするなど、道路の整備にも熱心だった。ある日、山頂の茶店の店先にごみを見つけたグルームは、お店のおばあさんに「それは何ですか?下には五ごもう毛村がありますが、六甲に*芥村はありません!」と怒り、それできれいに掃き清めたら「感心、感心」と上機嫌で小遣いを渡したという。グルームは公共性という視点も持ちつつ、六甲山に惜しみなく愛情と資金を注ぎ、〝市民の山〟の基礎を築いたのであった。 * 芥=ごみ五毛天神から六甲山上へ通った山駕籠 イラスト/米田 明夫ごもく117
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