思うまま語ってもらうことにした。50年代の撮影現場では「助監督たちは背広にネクタイが常識だったから、そんな空気に反抗したんだよ」と。映画は庶民目線で撮ってこそ映画だと言わんばかりで、ビデオを回す前から「芸能」の基本を教えられたのだ。それにしても、ハワイまで行って邦画の戦後史を追うことになるとは思わなかったので、この海外ロケも楽しみだった。ボクが好きに選んだ諸先輩たちにも撮影所時代の記憶を話しやすい場所を指定してもらい、そこに出向いて収録した。『太陽の墓場』(60年)で大阪の釜ヶ崎で逞しく生きる女とチンピラ男を見つめた松竹の大島渚を始め、『仁義なき戦い』(73年)で二十歳のボクの心を揺さぶった深作欣二、人間を徹底したリアリズムで描破した日活の今村昌平、『悪名』(61年)や『兵隊やくざ』(65年)で娯楽映画のお手本を示してくれた大映の田中徳三、『陸軍残虐物語』(63年)で小学5年のボクに軍隊の恐ろしさを見せつけた佐藤純彌、『狙撃』(68年)で若大将の加山雄三にクールな殺し屋役を演じさせた堀川弘通、『肉弾』(68年)の岡本喜八、松竹には補欠で入社したという山田洋次さんまで名だたる監督たちに会えるだけでも嬉しかった。篠田さんのデビュー作は『恋の片道切符』(60年)だ。同名のヒット曲で人気のロカビリー歌手を主演に、恋のもつれと芸能界の不条理な裏側を描く青春劇だ。この予告篇を作ったのが助監督の山田洋次さんだ。予告篇だけは番組で紹介した。本篇の方は観ていない。拳銃を撃つ場面もあると聞くので観てみたいのだが。因みに、篠田さんの傑作に『乾いた花』(64年)がある。虚無感が漂う池辺良のヤクザと加賀まりこ扮する賭場に現れる妖しい女との愛の不毛を描くフィルムノワールだ。こんな映画をボクもいつか撮ってみたかったが、いまだに撮れていない。篠田さんより一歳下で27歳の大島渚のデビュー作、『愛と希望の街』(59年)のタイトルで揉めた話も面白かった。元は『鳩を売る少年』だったが、松竹がそれでは地味で客が入らないと変更してしまったのだ。鳩の帰趨本能を利用して鳩を売ってはまた手元に帰らせて他の客に売って生きる少年と、当時の格差社会を撃つ力作だ。大島は表現の自由を妨げる会社には事あるごとに反発していたそうだ。あの人らしい話だった。深作欣二も今村昌平も佐藤純彌も、映画の夢に向かって走っていた助監督時代の失敗談になると、誰もが、見事に青年の顔に戻っていた。この続きはまた次号で。今月の映画●『愛と希望の街』(59年)●『恋の片道切符』(60年)●『乾いた花』(64年)●『狙撃』(68年)61
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