KOBECCO(月刊神戸っ子)2025年1月号
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制作することになったのは93年の夏だ。若かりし頃の先輩たちの、映画に人生を賭けたその胸の内を聞き出す機会など滅多になかったし、ボクにとっても有難いことだった。早速、インタビューしてみたい先輩監督たちをキャスティングした。進行役には岩下志麻さんが盲目の旅芸人を演じた『はなれ瞽女おりん』(77年)などで有名な松竹出身の篠田正浩監督にお願いして、併せて自身のデビュー作の経緯も存分に語ってもらうことにした。戦中生まれの篠田さんを選ん大衆が望む映画とは何なんだろうか。ボクはいつもそれを探しながら生きてきた。それはきっと社会の真ん中ではなく、周縁に生きる人々やボクを、片時にしろ、この地獄の現実から救ってくれるものだと信じて、そんな映画を探し歩いてきた。では、戦後の50年代の邦画黄金期に映画会社に入社し、60年代に監督デビューした頃の諸先輩たちは果たしてどんな思いで映画と向き合っていたのだろうか。そんなことをボクが本人たちにインタビューして回るドキュメンタリー番組をNHKでだのは、ボクが高校の時に知った「ベトナムに平和を!市民連合」(ベ平連)の呼びかけ人の一人だったからだ。勇ましいだけの戦争映画を撮る監督ではなく、「芸能」とは何かをいつも考えてきた人だったからだ。お会いするなり、篠田さんは「ボクが助監督の時は、他の助監督や監督のエリートぶりが性に合わず、撮影所で一人だけ、アロハシャツにビーチサンダル履きで走り回ってたんだよ」と青年に戻ったような顔で言うので、篠田さんの進行部分はホノルルのビーチをバックに、アロハを着て井筒 和幸映画を かんがえるvol.46PROFILE井筒 和幸1952年奈良県生まれ。奈良県奈良高等学校在学中から映画製作を開始。8mm映画『オレたちに明日はない』、卒業後に16mm映画『戦争を知らんガキ』を製作。1981年『ガキ帝国』で日本映画監督協会新人奨励賞を受賞。以降、『みゆき』『二代目はクリスチャン』『犬死にせしもの』『宇宙の法則』『突然炎のごとく』『岸和田少年愚連隊』『のど自慢』『ゲロッパ!』『パッチギ!』など、様々な社会派エンターテイメント作品を作り続けている。映画『無頼』セルDVD発売中。60

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