KOBECCO(月刊神戸っ子)2025年1月号
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で問題になったことがあります。今も帰るとその時の苦い思い出がよぎります。僕は23歳、関学4回生でエピックソニーからシンガーソングライターとしてデビューし、47歳でジャズピアニストになるべくニューヨークに渡りました。2つ目の大学はジャズ専門音楽大学『ニュースクール』。僕の選考はジャズピアノ。関学軽音時代、ジャズ高ロック低な気風の部で、ジャズオーケストラの練習をする管楽器の仲間を羨ましい目で見守ったものです。ジャズの勉強も始めたものの、ちんぷんかんぷん。挫折に挫折を重ね、シンガーソングライターとしてまさか大江千里 prole歌って自分がデビューするとは。今思うと僕を拾ってくれたプロデューサー、事務所社長、マネージャー、経理の女性、そして関西のライブハウス時代に、1人また1人と集まって応援してくれたあの頃のお客さんがいてくれたおかげです。2012年ジャズ大学を卒業しジャズピアニストになり、ブルックリン地区で相変わらず毎日練習をし、作曲をし、次のアルバム『実際には存在しない映画のサントラジャズ』という目標に向かい、日夜頑張ってます。ブルックリンに日本の食材屋さんは少なく、あってもインフレで買えないので、近所のメキシコ、中国系の店の食材で自炊をしてます。日本へ帰国したときに食べる食事とは比べ物になりませんが、限られた食材で知恵を絞って作る料理には楽しさもあります。日本食ってこうだったよな、そんな想像力をふんだんに使って「近い料理」が生まれると心から安心し笑みが溢れます。6回の連載は、時空を超えて神戸とブルックリンを繋ぎ、蔵出しの貴重なエピソードを綴りたいです。今思えばずっと旅をしてます。大阪から西宮、東京、ニューヨークのマンハッタンからブルックリン。「一生ニューヨークにいるのですか?」と尋ねられると答えに窮するのですが、毎日が1回きりの旅だという感覚です。コーヒーを淹れ啜りストレッチし朝ごはんを作る。ピアノを弾いていると、10代の頃から変わらないボロボロのハノンのフレーズに、ポップス時代に作った自分のフレーズを発見してニヤリ。3歳からピアノと一緒に旅をする僕のエッセイ、楽しみにしててください。   大江 千里1960年生まれ。1983年にシンガーソングライターとしてデビュー。2008年、ジャズピアニストを目指し渡米、THE NEW SCHOOL FOR JAZZ AND CONTEMPORARY MUSICに入学。2012年、自身のレーベル「PND Records」を設立しデビュー。現在、アメリカ、南米、ヨーロッパでライブを行なっている。NYブルックリン在住。 59

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