KOBECCO(月刊神戸っ子)2025年1月号
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あがる」で清貧の武士、三沢伊兵衛を描いて以来、小泉監督が一貫して映画で世に問うてきたのは、この、道義を重んじる〝人間の美しい在り方〟だった。今から半世紀以上遡る1970年。小泉監督は26歳のときに黒澤明監督に師事する。きっかけは黒澤監督の映画『赤ひげ』(1965年)だった。「その映像美に惹かれ、何度も手紙を書き、会いに行きました」とふだんは物静かな小泉監督が当時を思い出しながら熱く語る。いかに黒澤監督に魅了されたかが想像できる。『影武者』(1980年)、『乱』(1985年)、『夢』(1890年)、『八月の狂騒曲』(1991年)、『まあだだよ』(1993年)で黒澤監督の助監督を務めた。「まず、黒澤監督は、わら半紙を半分に切って脚本を書き始めます。その原稿を200字詰めの原稿用紙に清書していくのが私の役目でした。黒澤監督が書きあげたばかりの脚本を一番最初に読むことができるのですから。それは、もうようとする文化が、消費と手を結び、勝手気ままにふるまっています。それによって破壊されるのは道義的な美しさです」25年前の監督デビュー作「雨映画を撮る理由小泉監督はこうも語る。「今や品位を敢えて失わせ25

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