人生です。人生はそんなもんで、大したことをするわけでもないんです。死ぬのが面倒臭いので生きているだけです。それでいいと思いますよ。立派なことをして、社会のために、なんて生きているとシンドイです。僕は社会や人のために生きているとは思っていません。まあ絵を描いていたら余計なことを考えずに済むから描いているだけで、いろいろ世のため、人のためなんて考えていたら生きられません。では何のため?と言われると、絵のインスピレーションを送ってくれた源泉のためかな。つまり、その源泉の存在のために描いているんだと思います。インスピレーションの源泉への奉納ですかね。神社で巫女さんが鈴をシャンシャンやって踊っているのは、神様への奉納のためでしょう。僕の絵もそうした超越的な存在への奉納のためです。全て、奉納のために だと思います。僕は正月だから何か特別なことなどしません。送られてきた年賀状に返事を書くくらいで、20枚ほどで止めます。僕の年賀状は、文房具店で買ってきたその年の干支のスタンプをベタベタと重ねて押す、ただそれだけの年賀状です。これだって惰性でやっているだけです。そのうち正月休みも終って、メールが来たり人が来て、いつもと同じ日になります。正月だからといって、よそゆきの格好をするわけではなく、ただキャンバスに色をベタベタ塗っているだけです。こんな左官屋みたいなことを、これからも一生やっていくんだと思います。そしていつか絵を描くことを止めます。その時は死んだ時です。死ぬために絵を描いているようなものです。それでいいんじゃないでしょうか。死ぬために働いて、ご飯を食べて、風呂に入って寝る。その繰り返しが日に働いたっていいんですよ。元日に仕事なんて縁起でもないと誰が言ったのですか。僕は大晦日もいつものように絵を描きます。元日も早々にアトリエに行って、昨日の続きの絵を描きます。二日も元日の続きを、こうして国民の祭日など関係なく絵を描いています。大晦日だから描き納めも、元日だから描き初めも無関係です。紅白歌合戦など見ません。ニューイヤー駅伝と箱根駅伝はビデオを撮っておいて、夜に見ます。そして僕は1970年から毎日欠かさず、54年間馬鹿みたいに明けても暮れても日記を書いています。何のため?そんな大義名分や目的もなく、ただなんとなく、クセになっているだけです。書いた日記を後日読むというようなそんな面倒臭いことはしません。習慣というクセだから、続いているん20
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