神戸で育んだ画家への夢戦後の日本を代表する画家、東山魁夷(1908~1999年)と神戸との縁はとても深い。人生で最も重要な人格の形成期である3歳から高校を卒業するまでの少年期を魁夷は神戸で過ごした。彼が画家となる決意を固めたのも神戸だった。《私の少年時代が幸福であったと今でも思えるのは、神戸には山があり海があったからです。須磨の海岸もその頃は文字通り白砂青松でした》この文章は1957年に刊行された魁夷の自伝「わが遍歴の山河」(新潮社版)に綴られた一文である。現在も世界で圧倒的な人気を誇り、国民的日本画家として不動の地位に君臨するが、その華々しい経歴からは、今では想像もできないぐらい、魁夷が画家として成功するまでの道程は険しかった。1908年、横浜市で生まれた魁夷は3歳のときに、家族で神戸市西出町へ転居して来る。父は横浜の大手商社が前身の船具商の支店長をしていたが、会社を辞め、神戸に小さな船具店を構え経営していた。 だが、父は真面目に働かず、祖父が遺した財産を浪費し、家では母に辛くあたった。《楽天家で、殆んど感情だけで生活している父と、悲しみを理性で抑えているような母、この極端に異質の二人の間には、相當深刻な問題があって、まだ小学校へ入ったばかりの頃から、私は人間の間にある愛憎と、又その業とも云うべきものの姿を見て来たのです》「わが遍歴の山河」のなかで魁夷は両親の不仲に悩みながら育ったことを赤裸々に打ち明けている。性格が正反対だった両親の仲は険悪で自宅では喧嘩が絶えず、彼は次第に心を閉ざしていく。1915年、魁夷は神戸市立入江小学校(現在の市立湊小学校)に入学。その前年、1914年に第一次世界大戦が勃発していた。幼いころ、家の中に引きこもっていた魁夷だったが、小学生になると、自宅近くの海や山などに出掛け、自然に触れ、その景色を目に焼き付けることで、心の安息を得ていた。魁夷が語るように神戸は海や山に囲まれた自然の宝庫だ。神戸偉人伝外伝 ~知られざる偉業~前編東山魁夷画家をあきらめた少年時代…心救われた神戸の自然142
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