1896年のある日、トーニクラフト(Thomas C.Thornicraft)、ミルウォード(G.Millward)、アダムソン(J.Adamson)が六甲山のアーサー・ヘスケス・グルーム(Arthur Hesketh Groom)の山荘にやって来た。そして4人で談笑しているとふとしたことからゴルフの話になって、それじゃここでやってみようじゃないか!ということになり、これが日本でゴルフがはじまったきっかけだといわれている。アダムソンはゴルフ発祥の地、セント・アンドリュースの出身なので、もしかしたら懐かしい故郷のことを語り合っているうちにゴルフの話題が出てきたのかもしれない。もちろんこれは通説の1つであり、クリケットを引退しアラフィフとなったグルームが「アメリカゴルフの父」ジョン・レイド(John Reid)にならい、最初からゴルフをやる腹づもりで六甲山の土地を借りたという見解もある。また、グルームが自身を含め、開港の頃に来神した外国人たちが老齢にさしかかる中、競技的なスポーツばかりのKR&ACを辞した後の新たな娯楽としてシニアでも楽しめるゴルフを思いついたという説もある。いずれにせよゴルフをプレーするためにはコースが不可欠だが、チェーンソーもブルドーザーもない訳だから、一朝一夕には叶わない。しかも当時の六甲山上は荒れ地だ。グルームは1898年頃からハートショーン(J.Hartshorn)、コーンズ(A.J.Cornes)、ギル(E.H.Gill)、ロビンソン(W.J.Robinson)ら友人の協力も得ながら、地道な手作業に取り組む。腰にまで達する雑草や笹を鎌で刈り取り、根深き灌木を引き抜き、重たい岩を取り除き、冬になると薮を野焼きして灰を芝の肥料とした。そして1900年の夏にようやく山六甲山の父連載Vol.9A.H.グルームの足跡日本初のゴルフ場140
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