─キムラさんは淡路島のご出身だそうですね。キムラ はい!食べものが美味しい自慢の島でございます。高校まで洲本にいました。─神戸の思い出は。キムラ 親戚のおばちゃんが東灘の甲南本通商店街にいて、子どもの頃はよく行きました。買い物と言えば神戸でしたね。船に乗って、三宮でハンバーガー食べて、遊んで。帰るときはおばちゃんが港まで見送りに来てくれて「蛍の光」聞きながら泣いて帰って(笑)。堀本 震災の時はどちらに。キムラ 京都にいたんです。寝ていて、ドンと布団から体が浮く感じで。夫と「いままでの地震とは違うよね?」とすぐテレビをつけたら、その時は京都が震源地だと伝えていたのですが、しばらくしたら神戸と淡路島の被害が大きいと報道されて。慌てて実家に電話したんですけれど、その日は一日繋がらずで。堀本 ご両親はご無事でしたか。キムラ 父が先に逃げて庭から「はよ出て来い!」って言われた、と母が言ってました(笑)無事でおります、ありがとうございます。堀本 私は東灘区の自宅で被災しましたが、キムラさんと同じで突き上げるような揺れを感じました。祖母が近くの医療機関に入院し透析を受けていたんですけれど、透析には水が必要ですが断水になりましたから、母の実家のある兵庫県西脇市で透析ができる病院を探してもらい連れて行きました。そこまで行く道すがら、家が倒壊していたり、墓地の墓石が全部倒れていたり。でも六甲トンネルを越えてしまうとそうでもなく、その違いに愕然としました。あと、高校の同級生の妹さんが婚約中だったんですけれど犠牲になられて、火葬場がいっぱいで姫路まで行ったという話を聞いて、本当に涙が出ましたね。─2024年は元日に能登で大きな地震があり、夏には日向灘で発生した地震を受けて南海トラフ地震臨時情報が発表されました。神戸市医師会ではどのような準備をしていますか。堀本 阪神・淡路大震災当時は、DMAT(災害派遣医療チーム)のようなシステムがなく、救える命も救えなかったんです。現在は南海トラフ地震を想定した災害対処計画が立てられていますが、発災時には自衛隊やDMATは三重県や和歌山県、高知県などに重点的に展開することになっています。ですから発災直後には神戸において外部からの援助が期待できない最悪の事態も想定し、神戸市医師会は自分たちでチームをつくって対応しないといけないだろうと、神戸メディカルチーム、D-Kometの立ち上げを決定し、準備を進めています。キムラ それはどんな医療尋常じゃない揺れを経験南海トラフに備えて101
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