するためには、禅を学ぶ必要があると判断した僕は、帰国と同時に禅寺に参禅することにしたのです。アメリカ人の禅に対する考え方はかなり観念的だったので、僕は禅入門を書物からではなく、いきなり参禅することから、頭ではなく身体から入ろうとしたのです。だから禅の本は一冊も読んでいません。これがよかったのです。月に二度ばかり、各地の禅寺に参禅しました。二度目に行った浜松の竜泉寺で、井上義ぎえん衍老師に「何しに来られたのか?」と問われ、「決まってるじゃないでてくる者が結構いましたが、僕は禅にチンプンカンプン。西洋近代文明が行き詰まっていて、それをぶち壊すのは日本の禅では、という発想がヒッピーや知識人の間に流布していたように思います。日本はまだ西洋の近代文明を取り入れようとしているのに、西洋人は西洋の近代文明に絶望して、これを打開するのは東洋の精神では、と鈴木大拙の禅の本に夢中になっていました。アメリカのこのようなムーブメントに、日本は軽く一周も二周も遅れていました。そこで、今日の西洋文化を理解編集の田中さんが「禅」に少し興味というか、僕が時々、禅について語ることがあるので、禅って何かな?という興味でしょうかね。そんなことで、禅についてお話をしてみます。1967年に初めてニューヨークに行った時は、ヒッピームーブメントのど真ん中でした。ヒッピーの間で、禅はかなり強い関心がありました。僕が日本人だから、日本人は誰でも禅について語れると思ったんですかね。当時アメリカのインテリも禅に非常に強い関心をもっていて、僕が日本人だと知るといきなり禅問答をふっかけ美術家横尾 忠則撮影:横浪 修神戸で始まって 神戸で終る Tadanori Yokooわからないことはわからないでいい 〜禅のはなし〜16
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