なって参りました》現代に伝わる名作「怪談」は、こうやって八雲とセツの二人三脚によって紡ぎ出されてきたのだ。 八雲が神戸で暮らし始めてちょうど100年後。1994年、兵庫県中央労働センターの玄関前に彼を顕彰する記念碑が建てられた。今年2024年は、この記念碑建立から丸30年という節目の年である。さらに今年は八雲の没後120年であり、それは傑作「怪談」の出版から120年の記念の年でもあるのだ。オーストリアの詩人で作家、ホーフマンスタールは八雲の研究家として知られ、何よりも彼のことを慕っていた。その彼が言う。「この国を知りつくし、この国をこよなく愛したおそらくただひとりの西洋人」だと。壮絶な幼少期を経験し、世界を放浪した八雲は神戸で日本人となり、愛する家族と安住の生活を手にしたのだった。=終わり。次回は東山魁夷。(戸津井康之)て就職する。セツと長男、養祖父に養父母、使用人。熊本から大家族で神戸へと引っ越してきた〝大所帯〟での生活が、現在の神戸市の兵庫県中央労働センターの敷地内の住居で始まった。彼は神戸で子供を育てる中で、しだいに日本への帰化を考えるようになる。手続きに長い時間がかかったが、1896年2月、小泉八雲に改名。このとき八雲は日本で骨を埋める決意をする。「日本を故郷に」と決めたのだ。セツとの二人三脚来秋、放送が始まるNHK連続テレビ小説「ばけばけ」の主人公はトキ。八雲の妻、セツがモデルだ。二人が暮らす当時の神戸がどんなふうに描かれるのか、今から楽しみである。八雲にとって、セツの存在は妻であると同時に、彼の仕事に欠かせない大切なパートナーであったことが知られている。「ラフカディオ・ハーン 日本のこころを描く」のなかに、この二人の〝独特の信頼関係〟が分かる描写がこう綴られている。《ハーンは日本語があまりよくできませんでしたから、日本で接した原話は、おもにセツの口から語られたものです。その際、たとえ文字によって書かれた原典がある場合でも、それを読むのではなく語って聞かせてほしい、とハーンは頼みました》セツが八雲との暮らしを綴った回想記「思い出の記」には、こう記されている。《私が昔話をヘルンにいたします時には、いつも始めにその話の筋を大体申します》八雲が日本各地に伝承される「怪談」を、どうやって選び、どう取材し、どう書いていたかをセツが明かした秘話はこう続く。ちなみにヘルンとはハーンのことである。 《面白いとなると、その筋を書いて置きます。それから委くわしく話せと申します。それから幾度となく話させます。私が本を見ながら話しますと、「本を見る、いけません。ただあなたの話、あなたの言葉、あなたの考えでなければいけません」と申します故、自分の物にしてしまっていなければなりませんから、夢にまで見るように131
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