今村 欣史書 ・ 六車明峰連載エッセイ/喫茶店の書斎から ◯ 糸脈以前なら自転車で走っていた距離はなるべく歩く。健康のためだ。すると思わぬものが目に入る。西宮の酒蔵通りを歩いていた時のこと。「あら、こんなところに」と不思議なものがあるのに気づいた。お屋敷の塀の上である。小ぶりなスイカほどの赤い電球。若い人はご存知ないだろうが昔の医院の門燈だ。大きな赤い灯りが「ここに医院あり」と深夜も点いているのが心強かったものである。それがさり気なく塀の上に設置されている。お屋敷は西宮の旧家、堀内家。江戸時代には尼崎藩の藩医を務めたという代々お医者さんの家系だ。わたしに関していえば、若い日に胸の病を得て先代先生にお世話になった。毎日のように注射に通って仲良くなり、面白く珍しい話をたくさん聞いた。いずれ機会があれば。その頃、この赤い電球が医院の玄関先を照らしていた。遠い昔の記憶だ。改築の時、廃棄せずに残しておいて下さったのですね。お陰で昔を懐かしく思い出す縁となった。後日、夜に確かめに行ったが、電気は点いてなくて少し淋しい。お世話になった先生の弟、堀内泠氏に著書がある。泠氏も医師だったが、郷土史家でもあった。その泠氏との間にもわたしには忘れられないエピソードがあるが今は触れない。『兵庫医史散歩』(堀内泠著・平成五年・兵庫県医師会刊)。泠氏が「兵庫医師会報」に35回にわたり連載した兵庫県の医史をまとめたもの。濃い緑色のハードカバー、いかにも医学書。わたしは日頃このような格調高い本を手にすることはない。堀内家が藩医であったことも載っているが、中に「へ~?」と驚く話があった。〈糸脈〉。恥ずかしながら浅学のわたしは初めて出合う言葉である。こんなことが書かれている。《糸脈とは、江戸時代まで行われていた医師の診療法の一つである。地位の高い人、所謂貴人、特に貴婦人を診察するとき、尊体に触れることはもちろん、接近することさえはばかって、病人の脈所(主として手首、男は右手、女は左手)に絹糸の一端を結び、反対側の端を、次の部屋で医師がもって、糸に伝わる脈拍103102
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