andcarsMovie Sandor Szmutko@shutterstockチェッカー タクシーキャブ1956年、アメリカミシガン州に本社を置くチェッカー社がタクシー専用の車両として販売開始。全長5.2m、全幅1.93m、全高1.59m、と大きなボディ。クライスラー製、シボレー製の6気筒やV型8気筒エンジンを搭載していた。シボレー製のV型8気筒5,700ccのエンジンを搭載したモデルが劇中でトラヴィスが運転するタクシーである。253馬力、最高速190Km。1960年頃から1990年頃まではアメリカでタクシーと言えば、黄色に黒のチェッカーラインのカラー、そして大柄で丸みを帯びたボディ、丸目4灯のヘッドライトのチェッカー社の「イエローキャブ」が目に浮かぶ、多くの映画、ドラマにも登場シーンが多い。1956年から1982年まで27年間製造された。その後、イエローキャブはフォード・クラウンビクトリアに引き継がれた。CHECKER TAXI CAB映 画:『タクシードライバー』 アメリカ 1976年登場車両:チェッカー タクシーキャブ本作はアメリカン・ニューシネマの代表作である。また文芸的な要素が評価される「カンヌ国際映画祭パルム・ドール賞」を受賞した名作。背景はベトナム戦争(1965年~1975年)で多くの犠牲をともないアメリカが敗戦した後のニューヨーク。ベトナムから帰還した兵士だけは、良くも悪くも特別視され「ベトナム帰還兵」と呼ばれた。ベトナム帰還兵は過酷な環境、死と隣り合わせの恐怖から精神を患った兵士が多かった。精神を狂わせるような戦場から帰還すると、祖国アメリカはきらびやかな生活の反面、深い闇が広がっており、殺人、強盗、強姦、傷害などの暴力犯罪や、マリファナ、コカインなどの薬物乱用と、それによる犯罪が増加していた。やっとの思いで帰還したが明るい場所に自身の居場所はなく、精神疾患から普通の生活に戻れず苦痛を強いられたベトナム帰還兵も多い。トラヴィス(ロバート・デ・ニーロ)もその一人であり、不眠症の疾患と孤独、社会に強い不満を感じていた。定職にも就けず、夜通し運転するタクシードライバーとして働いていた。トラヴィスは他のドライバーが断るような危険な場所にも客を選ばずタクシーを走らせる。運転席から見えるニューヨークの夜の街は、街頭、大通り、歩道、ネオンの下に照らされる薄暗い路地、ビルの影に、様々な犯罪が繰り広げられ腐敗を浮き彫りにする。戦場とは違うが、この街も不穏状態である。トラヴィスは犯罪に手を染める輩達を見ると腹立たしく、やるせなく、街の浄化が必要だと真剣に考える。ある日、トラヴィスは次期大統領候補パランタイン上院議員の選挙事務所で働いている素敵な女性:ベッツィに一目ぼれしてデートに誘うのだが、女性との付き合い方を知らない上にコミュニケーションが下手なトラヴィスはベッツィに嫌われてしまう。それを機に均衡を保っていたトラヴィスの心の歯止めが効かなくなり始める。ある夜、客席に逃げ込んできたアイリスと言う少女、組織の一員として働かされていたためにチンピラに強引に連れ戻された。その少女アイリス(ジョディ・フォスター)が気がかりなトラヴィスは、自らの手で街を一掃するために武器を手に入れ、加工を施し、鈍った体を鍛え始めた。運命の日、トラヴィスによる街の浄化作戦が決行される。トラヴィスは髪をモヒカンにして(ベトナムでは命が危うい特殊任務に就く際にモヒカンにしたという)死を覚悟していた。先ずは手始めにパランタイン上院議員の暗殺を試みるがシークレットサービスに怪しまれて逃げきった。次はアイリスの救出である、組織の館に単身で乗り込んだ。銃撃戦で組織全員を殺害するが自身も重傷を負った。アイリスは無事に故郷に帰り、両親やマスコミからトラヴィスは英雄としてもてはやされた。傷も癒えてタクシードライバーに復帰したトラヴィス、ベッツィが客として乗車したが既に彼女に興味は無かった。彼は街の闇を自らの手で浄化することに生を見出した。バナード・ハーマンの名曲がトラヴィスの心のあり様を表現する。怠惰で乾いた夜の街、雨に濡れた路面が街のネオンを写し出し、街頭やネオンがタクシーのボディを流れていく、様々な映像にサックスの音色が染み込んでいく。巨匠バナード・ハーマンは本作品の音楽収録を終えた夜に息を引き取った。ロバート・デ・ニーロは撮影前にタクシーに数週間乗車して役作りを研究したという。ロバート・デ・ニーロの出世作となった。文・株式会社マースト 代表取締役社長 湊 善行8
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