KOBECCO(月刊神戸っ子)2024年11月号
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─ご出身は神戸だそうですね。松村 爺さんの代から神戸です。神戸生まれですが、親父の仕事の関係で小中と和歌山にいたので、6歳までと15歳から18歳の間、9年間を神戸で過ごしました。─先生の神戸の原風景は。松村 原風景といいますか、真っ先に思い出すのは高架下です。高校生の頃ですから昭和40年代ですかね。それなりにちゃんとした商店街ではありましたけれど、不思議なところでしたよね。三宮から元町、神戸駅にかけて、線路の下にあんなに長く続いていて。僕はテニス部だったんですけれど、高架下にテニス用品店があって、そこで沢松和子さんのラケットのガットの張り替えをしていたんですよ。そういう特殊な店があったり、米軍の放出品とか、そんなにみんなが履いていなかった頃からGパンを売っているとかバタ臭い店があったり、あと何となく「これちょっと危険かな…」というムード(笑)、独特の戦後的空間で、面白かったですよね。─いまはすっかり変わってしまいましたね。松村 それと対照的なのが元町商店街です。先日ここでシンポジウムを開催したのですが、都市工学の専門家の西村幸夫先生が神戸のお話の中で、元町商店街はもともと西国街道で、街道筋がそのままアーケード商店街になっている例はほとんどないとおっしゃっていました。僕らが幼い頃はおじいちゃん、おばあちゃんと朝日会館でディズニー映画観てから大丸、そして元町へ行き、「ファミリア」やおもちゃの「カメヤ」へ連れて行ってもらったもので建築学、とりわけ建築構法、建築生産を専門分野に、職人や空き家、建築再生といった社会的課題に鋭い視線を向ける松村秀一さん。その研究が高く評価され、2005年日本建築学会賞をはじめ多くの受賞歴をもつ。本年4月には神戸芸術工科大学学長に就任した。神戸の思い出や神戸芸術工科大学が目指す「芸術工学」について伺った。ふるさと神戸の原風景23

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