KOBECCO(月刊神戸っ子)2024年11月号
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てしまって、窮屈で偏った固定化した人間に教育しかねません。このような教育によって、気が付いたら自然に、堅苦しい人間に作られてしまいます。元々子どもは自由な存在ですが、学校教育の制度の中で、思うような生き方のできない子どもに仕立て上げられた結果、いわゆる単一の、非複数人間になるのではないでしょうか。私の中の複数人間というのは、なんでもありの環境に対応できる人格。それを僕は複数化された小さい自分と呼んでいるのです。何度も繰り返しますが、出たとこ勝負的に生きることのできる性格といえばいいでしょうか。強固な思想で塗り込めてしまった人は、その思想に反した対象は受け入れられないかもしれません。僕の創作を種明かししますと、何でもありです。好きなものも嫌いなものも、同時に画面に持ち込んで、ひとつの画面の中で複数の表現として持ち込みます。日常生活もこの創作態度に似ているかもしれません。僕が運命に従った生き方を河合隼雄さんと(2000年)13

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