世界を転々と「耳なし芳一」や「ろくろ首」に「雪女」など日本各地に伝わる怖い“お化け”の物語を収録した怪奇文学作品集「怪談」(1904年)の著者として知られるギリシャ生まれの作家、小泉八雲(1850~1904年)と神戸との因縁は、実はとても深いことをご存じだろうか。1895年、彼は家族とともに暮らしていた神戸で日本人として帰化することを決意。その申請手続きに約半年を費やした末、翌1896年、“日本人、小泉八雲”は誕生するのだ。帰化する前の八雲の名前は、パトリック・ラフカディオ・ハーン。ミドルネームのラフカディオは、彼が生まれた地中海のイオニア海に浮かぶギリシャのレフカダ(レフカズィオス)島の名前から取って付けられたものだ。日本から遠く離れたギリシャの島で生まれたラフカディオ・ハーンは、なぜ、日本のそれも神戸で日本人として生まれ変わることになったのか。その人生は生まれたころから波瀾に満ちていた。日本で「怪談」を書き上げ、本として発表する、その54年前……。1850年、アイルランド出身の英国軍医の父と、ギリシャ人の母との間に、レフカダ島で生まれた彼は19歳で単身、欧州を離れ渡米している。さらに、彼の人生を遡っていくと、壮絶な少年期を過ごしていたことが分かる。彼はギリシャをはじめ英、仏など欧州各国を転々としている。転校を繰り返しながら…。軍医だった父はいつも家にいなかった。戦地などの勤務地へ単身赴任を繰り返し、生まれて以来、八雲は父の顔をほとんど見ることのないまま育った。一方、母は夫の長期の不在などで精神状態が不安定となり、彼が4歳のときに一人で故郷へと帰ってしまう。一人、残された彼は親戚の元を転々としながら仏、英などの学校に何とか通っていたが、養ってくれていた一家が経済的に困窮し、英の学校も中退する事態に…。追い詰められた彼は、移民船に乗って渡米することを決意する。19歳のときだった。以来、彼は亡くなるまで、ギリシャへ一度も帰郷することはなく、欧州大陸を再び訪れることもなかった。このとき故郷と決別したのだ。神戸偉人伝外伝 ~知られざる偉業~前編小泉八雲怪談の伝承者秘話…世界放浪の末の神戸との因縁118
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