日本初のゴルフ場、神戸ゴルフ倶楽部を創設したことから、わが国のゴルフの父として知られるアーサー・ヘスケス・グルーム(Arthur Hesketh Groom)だが、嗜んでいたスポーツは幅広かった。むしろゴルフは中年になってからで、娘の岸りうの回顧録によると水泳、ボート、登山、クリケット、シューティングも大変好きで、特に水泳は晩年まで愉しんだという。また、「ベッピンサン」と命名した愛馬で競馬にも関わっていたようだ。ゴルフについては機会を改めることにして、今回はそれ以外のスポーツとグルームについて紹介しよう。グルームの母校、マールボロカレッジはスポーツが盛んな校風で、特にクリケットでは数々の名選手が輩出している。グルームもすぐれたクリケットプレーヤーだったようで、来神の翌年の1869年、10月16日に神戸ではじめて開催された本格的なクリケットゲーム、イギリス軍艦オーシャン号との試合に神戸居留地外国人チームの主将として出場し、第1イニングで14点を獲得し大活躍で勝利に貢献している。これで盛り上がって、この3日後にグルームら有志が集いクリケットクラブの結成を目指すようになり、程なく兵庫クリケット倶楽部が発足。しかしグラウンド確保の問題から頓挫し、1870年に改めて神戸クリケット倶楽部が結成され、グルームは長い間その主将を務めたようで、同年の最終戦では最多得点を叩き出している。グルームはその後も神戸で数多くのクリケットの試合に、さまざまなチームのメンバーとして出場している。時には独身者チーム対既婚者チームの試合でプレーし、すでに結婚し子どもまでいたのになぜか独身者チームで大活躍している。仕事の都合で横浜に拠点を置くようになった1884年六甲山の父連載Vol.7A.H.グルームの足跡スポーツとKR&AC116
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