KOBECCO(月刊神戸っ子)2024年10月号
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今村 欣史書 ・ 六車明峰連載エッセイ/喫茶店の書斎から ◯  ブルーグラス「ブルーグラス」。訳せば青い草。だが、これに「ミュージック」と続けばわたしの胸はワクワクしてくる。神戸ではジャズが身近な音楽として知られているが実はブルーグラスミュージックも昔から根付いているのだ。ラジオ関西のパーソナリティー谷五郎さんがやってる音楽といえば神戸の人にはわかってもらえるだろうか。もっといえば、先ごろお亡くなりになった高石ともやさんが「ザ・ナターシャー・セブン」でやっておられた音楽。ギターやバイオリン、ベース、マンドリン、五弦バンジョーなどの、基本的には電気を使わない弦楽器で編成され、ギターを弾く人が主にリードボーカルを担当する。この音楽にわたしが夢中になったのは、まだ二十歳前後の頃。友人があるライブハウスに連れて行ってくれた時だ。「こんな音楽があったのか!」と瞬時に魅かれ、早速ギターを買い、その友人と楽しんだ。しかしわたしは父を早くに亡くし、17歳から一家を背負って家業を営む身で、本格的なバンドに参加する余裕はなかった。仕事が終ってからライブハウスに通うのが楽しみだったのだ。そのライブハウスは大丸神戸店の何筋か北の路地にあった「ロスト・シティー」。今や伝説となっているそこはわたしの青春の一ページといっていい場所。そのうち、ボブディランのフアンだったわたしの弟がわたしに影響されてブルーグラスにはまった。彼はバンジョーを購入し、わたしのギターボーカルとの二人バンドで地域の敬老会のステージにも立った。時移り、やがてわたしは中学生になった長男とバンドを組み、「喫茶・輪」でライブを開いたりした。そこに「コンサートに出演を」との話が来て、西宮のアミティーホールに出演した。二人だけでは淋しいので、関西のブルーグラス界で活躍するA元氏を助っ人に三人のバンドでステージに立った。怖いもの知らずで、満員のホールでわたしは堂々とギターを弾いて歌ったのだった。しかし今思うと冷や汗ものである。その録画が残っているが、長男は「誰にも見せるな」と言っている。 ここからが今回の本題。このほど、親しくさせて頂いている日本を代表するブルーグラッサー、稲葉和裕氏が本を出されたのだ。10194

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