KOBECCO(月刊神戸っ子)2024年10月号
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国立高等音楽院で、仏を代表する現代音楽の作曲家、オリヴィエ・メシアンに師事する。「メシアンからよくこう言われました。『あなたが日本人であることは財産だ』と。当時は私を励ますために、あえてそう言っているのだろうと思っていましたが、後になって知りました。彼は心から日本の伝統文化、芸術に憧れ、愛していたことを…」パリに留学して1年。音楽院の友人の家でフリー・ジャズのレコードを聴き、「こんなにも音楽は自由でいいのだ、と改めて気付かされ、即興演奏の楽しさに浸りました」東京芸大入学以来、ずっと封印してきたジャズの演奏。その封印が解かれたのだ。加古が連日、ピアニストとして仲間とセッションしていると、「米国から来ていたプロメンバーに、コンサートを開くから参加してくれないか、と突然、声をかけられました」1973年、加古はこの応援メンバーとして参加したコンサートで、プロのピアニストとしてデビューを果たしたのだ。1980年に帰国。ソロ・ピアニストとして活動を続けていた加古に転機が訪れる。「敬愛する音楽評論家の野口久光さんから〝一度でいいから、誰でも知っている曲をやってごらん〟とアドバイスされたんです」そんなことを今、いわれても…と悩みながらも加古は一曲、完成させた。伝統的なイングランド民謡『グリーンスリーブス』をモチーフに作曲した『ポエジー』。その印象的なフレーズが、ウイスキーのテレビCMとして放送されるや、加古の名前は一躍、音楽界を超えて知れわたる。「大きなターニングポイントになりました」と語るように、加古はこの『ポエジー』の作曲を契機に、唯一無二の「作曲家・ピアニスト」として、独自の音楽家としての道を切り拓いていくことになるのだ。広がる創作ジャンル『スター・ウォーズ』のジョン・ウィリアムズ、『パイレーツ・オブ・カリビアン』のハンス・ジマー、『ロッキー』のビル・コンティ…。いずれも洋画の劇伴(サントラの作曲)で知られる現代作曲家たち。日本映画の劇伴を牽引してきた一人が加古である。2001年、『大河の一滴』(神山征二郎監督)で初めて日本の映画の劇伴を手掛けた。きっかけを聞くと、「原作者の作家、五木寛之さんから直接、頼まれまして」と言う。そのとき五木はどんなリクエストを?「映画を見終わった後も、ずっと頭の中で音楽が流れているような、そんな王道の映画音楽を作ってほしい。それが依頼でした」と加古が明かす。21

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