KOBECCO(月刊神戸っ子)2024年10月号
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原の中へ、私を連れ出してくれたのです」それからさらに数年が過ぎ、1980年代中頃。「岩手県花巻市でコンサートがあり、現地のスタッフが『宮沢賢治記念館』へ連れて行ってくれたんです。コンサートが終わった夜。花巻のスタッフが集まっていたとき。賢治の話になった瞬間、みんなの目が一斉に輝いたのです。世代も違う男女全員がです。賢治はこんなにも地元の人たちに愛されているんだと実感した瞬間でもありました」以来、気になって賢治について調べ始めたという。1988年に発表されたアルバム『KENJI』は、加古が「賢治から聴こえる音楽」を紡ぎ出して作った楽曲集だ。なぜ、このタイトルのアルバムが制作されたのか。「音楽プロデューサーから『宮沢賢治をモチーフにしたアルバムを作ってくれませんか』と依頼があったのです。まったくの偶然だったんですよ」加古にとって賢治との出会いは宿命だったのかもしれない。コンサートは二部構成。第一部は『ソロ&クァルテット~パリは燃えているか~』。加古のピアノとヴァイオリン、ヴィオラ、チェロによる演奏。現在、放送中のNHK『映像の世紀 バタフライエフェクト』の挿入曲『パリは燃えているか』、『風のリフレイン』などが披露される。第二部は『賢治から聴こえる音楽』と題し、朗読を舞台俳優、声優、演出家の加古臨王が担当する。加古の次男である。「1990年代から、心の中で賢治をテーマに、いつかもう一度、演奏したいと思い続けていました。昨年、50周年で音楽家としての一区切りがついたとき…」。すでに翌年の構想を固めていた。「賢治に、もう一度、命を吹き込もう」と。パリで鮮烈なデビュー1947年、加古は大阪府豊中市で生まれた。音楽との出会いは小学生の頃。「知人宅に当時、珍しかったレコードプレーヤーがあって、よく聴かせてもらいに通っていたんです」泊まり込みで夢中になり聴いていたのは一枚だけあったレコード。ベートーヴェン作曲の交響曲第五番『運命』だった。そして高校一年。「先輩に連れられ、大阪のフェスティバルホールにジャズのコンサートを聴きに行き、大きな衝撃を受けました」伝説のドラマー、アート・ブレイキーの演奏に魅了され、ジャズにのめり込む。作曲家を志し、1965年、東京芸術大学作曲科に進学する。「作曲科に進んだ以上、〝二足のわらじ〟は辞めようと決め、ジャズピアノの演奏はこのとき封印しました」大学院を経て渡仏。パリ20

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