KOBECCO(月刊神戸っ子)2024年10月号
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ていくことで、人や社会の認識を拡大していくという実験が各分野に於いて行われ始めた、そんな時代のスタートが60年代であったと思います。上京と同時に入った日本デザインセンターの同僚のイラストレーター宇野亞喜良さんと、同じイラストレーターの僕とで、2人のイラストを同一画面の中で、対立と同化を繰り返しながら、『海の小娘』という絵本を作りました。恐らく2人のイラストレーターによる合作というのは当時は非常に珍しく、もしかしたら日本で初めての、いや世界でも初めてのイラストレーションのコラボではなかったかと思います。余談ではありますが、この『海の小娘』が、今年の初めに64年ぶり、復刻版として当時の体裁そのままの形で発売されました。用語です。昔は合作と呼んだり、共同作業なんて呼んでいたように思います。僕が初めてコラボの経験をしたのは、60年位前に上京して間もなく、デザイナーの田中一光さんが、神戸労音の歌劇『椿姫』のポスターを作った時です。田中さんは僕にイラストレーションを描かせ、自分でデザインをしました。このような共作は、デザイン界ではそろそろ流行し始めており、ひとりで作品を作るのではなく、誰か他の能力や才能を活用することで、デザインとイラストレーションという異質なものを組み合わせ、異種媒介現象を起こしていました。社会そのものが、次第に多様化し始めた時代で、自分にない技術や思考や才能を合体することで、単独ではなく複数化しコラボレーションを最近はコラボと呼び、色んなシチュエーションで使用されていますが、今回は、このコラボについて、何か書いてくれと頼まれました。僕の知る限り、コラボはどうも広告界で使用し、使い始めた用語ではなかったかと思うのです。1960年代初頭、僕がまだグラフィックデザイナーになった駆け出しの時代、コンセプトという耳慣れない言葉と共に、コラボレーションという外来語が耳に入ってきました。広告界は時代の先端を走りながら次々と流行を生み続けていましたので、その背後ではこうした新しい言葉が、常に流行するのです。今ではコラボはあちこちで聞かれます。一人の人間の単一的行動ではなく、誰かと共同で作業する場合によく使用される美術家横尾 忠則撮影:横浪 修神戸で始まって 神戸で終る Tadanori Yokoo自分とのコラボレーション14

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