KOBECCO(月刊神戸っ子)2024年10月号
120/124

近代建築の巨匠、フランク・ロイド・ライトを学ぶ平尾工務店がお届けする「オーガニックハウス」の基本的な理念や意匠を編み出した世界的建築家、フランク・ロイド・ライトについて、キーワードごとに綴っていきます。ライトペディアWrightpediaChapter 5フランク・ロイド・ライトのライフワークは、建築だけではありませんでした。もう一つ、浮世絵にもただならぬ情熱を寄せていたのです。ライトと浮世絵の出会いは諸説ありますが、彼が二十歳になった頃といわれています。故郷のウィスコンシンからシカゴに出て、製図工となり建築関係の仕事の第一歩を踏み出した時に働いていた事務所の主、ジョセフ・ライマン・シルスビーは日本美術の蒐集家で、しかも日本美術研究家として知られるアーネスト・フェノロサの従兄弟だったのです。ライトがシルスビーの事務所で勤務していたのは1年足らずでしたが、ここではじめて浮世絵に触れたのではないかという説が有力です。その後、建築家として独り立ちしたライトは、1905年から1922年にかけてたびたび日本へ来ますが、当初の主目的は浮世絵の収集にありました。彼は初来日の翌年にシカゴ美術館で歌川広重展を開催しますが、これがシカゴにおけるはじめての本格的な浮世絵展です。ライトは浮世絵にずいぶんと助けられています。1917年以降の来日は建築の仕事が主になってきますが、そもそも代表作の一つである帝国ホテルは浮世絵コレクションで培った人脈で得た案件です。また、ライトが建築家として不遇な時代や資金難に遭った時、浮世絵の収集代行や売買で経済的な危機をしのいでいます。そしてライトは浮世絵の手法を本業の建築に採り入れ、特にクライアントへ提示するイメージパース(完成予想図)は広重や葛飾北斎らの構図を大いに参考にした美しいもので、「ライトは2度建物を建てる」と言われるほどです。一方でライト離日直後の1923年に関東大震災が発生し、その後太平洋戦争がありましたが、結果的に彼がアメリカへ持ち帰った大量の浮世絵は地震や戦火に遭わずに済み、現在その多くがシカゴ美術館などに収蔵されています。ライトと浮世絵は「救い救われ」という関係だったのですね。浮世絵120

元のページ  ../index.html#120

このブックを見る