KOBECCO(月刊神戸っ子)2024年10月号
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前回、アーサー・ヘスケス・グルーム(Arthur Hesketh Groom)がモーリヤン・ハイマン商会を離れたのは1893年頃としたが、その後のリサーチで1894年の書類で同商会の欄にグルームの名が記されていることが判明したので、ここにお詫びの上、商会を辞したのは1894年以降と訂正する。そして1895年の書類でグルームの名前を見つけることができるのはオリエンタルホテルの欄で、そこに取締役として名を連ねている。その後、1900年には筆頭で名前があるので、この頃社長に就任したと推察される。オリエンタルホテルは今なおそのブランドが継承されている、神戸を代表する名門ホテルだ。現在の同ホテルのホームページでは創業が1870年となっているが、その根拠は同年の新聞に掲載された広告と思われ、それ以前から営業していた可能性もある。当初はオランダ系の商会が居留地79番で経営していた。その後しばらくについては諸説あるので割愛するが、フランス人のコック、ルイ・ベギュー(Louis Beguex)が1888年頃に居留地80番でオリエンタルホテルを開業し、これを創業とする見解もある。ベギューの料理の腕は一流で、神戸の洋食のルーツは彼にあるとも言われており、ゆえにホテルは大変繁盛していたようだ。多くの文献ではベギューが帰国することとなり、このような素晴らしいホテルがなくなるのは惜しいとグルームらが買い取ったとされている。しかし、実際のところグルームが経営に参画した1895年時点でベギューは支配人として活躍し、1898年まで在籍している。また、この頃の神戸の貿易業の発展は著しく、輸出入合計金額をみると1888年が約4千3百万円だったのが、六甲山の父連載Vol.6A.H.グルームの足跡オリエンタルホテル116

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