KOBECCO(月刊神戸っ子)2024年9月号
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「10年前の私へ、20年前の私へ。そして2年前の私へ。自分へのメッセージを手紙に託し、それに合わせた楽曲を披露していく…。このスタイルができあがったのです」2年前の私へ―。それは2021年。最愛の父、平原まことを亡くし、絶望の淵に立つ自分へのメッセージだった。松任谷からこんな提案があった。「アーヤ(平原綾香の愛称)さあ、お父さんの『ジョージア・オン・マイ・マインド(わが心のジョージア)』をサックスで吹いてくれないか?」こう言われ、「正直とても驚いた」と言う。この曲はサックス奏者の父が得意とし、松任谷、そして平原が大好きだった曲だ。父が亡くなって以来、父の曲をサックスで吹くことは封印していた。というよりも、「こわくて絶対に吹けなかった」と吐露した。「これまでのように自分が演出をしていたら、絶対に実現していなかった」そう語るのが、コンサートのオープニングシーンだ。天国の父へと贈る、父から受け継いだ娘の渾身のサックス演奏「ジョージア・オン・マイ・マインド」がホール中に響き渡った。「父が亡くなって以来、初めて吹くことができました」松任谷演出の20周年コンサートは、自身にとって、「父を亡くした悲しみを乗り越えていくためのツアーだったと思います」と改めて振り返る。一方で、「こんなにもプライベートを披露していいのか。父を失った悲しみを表に出していいのか?」。そんな戸惑いもあったが、得るものは間違いなく大きかった。「コンサートで父の思い出を振り返るとき。私は泣き、そして観客の方たちも涙を流して聴いてくれた。自分の悲しみの経験を、歌で、演奏で表現することができたのです」20年間で積み上げたアーティストとして、そして同時に人としての集大成のステージを完成させることができた。「自分のことをここまで舞台の上で出してもいいんだ。そう正隆さんが教えてくれました」悲しみの感情を歌に込めることで観客と一体化できることを知った。「会場に来てくれる方たちも、みんな家族や友人を亡くしながら、その悲しみに耐えて生きているのだ…」と。21年目も走り続けたい今回のツアーで構想している松任谷の演出とは?「まだ構想中ですよ。話し合いは直前まで続けます」と言いながらも、そのアイデアの一端を教えてくれた。クラシックにジャズ、ポップスに、独学で習得したボイス・パーカッション、そして中学生から続けているサックスの演奏…。27

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