はじまりは一冊の雑誌─安藤忠雄さんと出会ったきっかけは。中田 コンビニでたまたま手に取った一冊の雑誌です。『ブルータス』という雑誌で、表紙に「安藤忠雄があなたの家を建ててくれます。」と書いてあったんです。ちょうど舞子に土地があったので、そこに建てたいなとその企画に応募したら多数の中から選ばれて設計して頂くことになりました。当時、建設地周辺は今とは違った環境でした。舞子駅近くにあったファストフード店の使用済み容器が打ち捨てられ、成人図書の自動販売機が並んでいました。少し離れたところには目立ったおしゃれな飲食店もありましたが、そこに安藤建築がひとつ建ったとたん、一気に近所の雰囲気が変わってきたように思います。今は有名チェーンのカフェや素敵なレストランができています。安藤さんの建築は存在感があるだけでなく、周りを変える力があるんだなと。─それが「4×4の家」ですが、完成時はいかがでしたか。中田 住み心地は全く言うことないです。やっぱり圧倒的に設計がすごいと思いました。僕は大学で建築を学んでいた頃から安藤さんの作品を見ていて「俺でも設計できそう」と思っていたんですよ。すごくシンプルだから。でも全然違うんですよね。建物を設計する時って、ものすごく情報が多いんですけれど、それをきれいに収めてきっちり仕上げる。安藤さんの設計は、機能的で美しく、余分なものがなくてシンプル、建物に入って初めて感じられる空間の拡がり、これしかないよな、という完成形が練り上げられているんです。あの敷地を見てこの設計に行き着くのはあり得ない。私なんかの思考の延長線上にはない設計で、もちろん私が100年考えても到達できません。できたものを見れば何とでも言えますけど。─施工は当時所属していた建設会社でしたが、工事はいかがでしたか。中田 それまでもコンクリート打ち放しの経験はありましたが、壁だけ、外側だけではなく、内外、壁床、柱梁、全てが打ち放しはレベルが違いました。技術というより精神が試されます。コンクリートが固まって枠を取ったら終わりなので、はじめからすべてが整合してないといけない。すべてを考え尽くしていないと破綻します。後から「あれ忘れてた」はダメ、後戻りができないんです。奈良の薬師寺に「不ひがしせず東」という額が掲げられてます。西に経典を求めた三蔵法師の「絶対に東へ戻らない」という決意を表したものなんですが、まさに全てを考え尽くすまで安易に工事を進めない「不東」の精神での取り組みでした。39
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