KOBECCO(月刊神戸っ子)2024年8月号
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☆新感線の創設者として公演を演出してきた重鎮。〝いのうえ歌舞伎〟とはアクションを盛り込みケレン味を効かせた新感線ならではの新ジャンルの舞台。『バサラオ』はいのうえ演出の最新の〝時空を超えた時代活劇〟だ。 「もちろんダイナミックな踊りと歌を演出。ただのピカレスクロマンにはしませんよ」と、「古田の思いは百も承知」だと言わんばかりのいのうえは、自信あり気な笑みを浮かべた。生田が17歳で新感線デビューなら、古田も新感線の舞台でデビューしたのは18歳。最初の公演からずっといのうえの演出で演じてきている。古田がどんな舞台にしたいかの一番の理解者がいのうえなのだ。看板俳優の底力そもそも、古田はなぜ舞台俳優を目指したのか?1965年、神戸で生まれ育った。「小学5年のとき。学校の行事でミュージカルを見に行っ築かれた信頼関係そんな全体像を見据え考え抜いた演技プラン、熟考した舞台構想を隠すように「今、日本で最も信頼できる二枚目2人が出演。2人がいればロングランのツアー公演の集客も心配ないですよ」と自分に信頼を寄せてくれる二人の言葉を照れ臭そうに笑って煙に巻く。「実はこれまで2人とは新感線の舞台では共演したことがない」と話す裏には、3人での初共演が今から楽しみで仕方ない、という思いも伝わってくる。同じ舞台で3人が揃うのは初めてだが、古田はそれぞれドラマなどで共演しており、互いに俳優として信頼関係を築いていることも伺えた。「いまさらピカレスクロマン(悪者が活躍する物語)はやりたくないと思っていましたが、いのうえ(ひでのり)さんが面白く演出してくれそうだから」劇団の人気シリーズである〝いのうえ歌舞伎〟を率いる演出家、いのうえひでのりは劇団たんです。それまでは漫画家、プロレスラー、ミュージシャンなどなりたい夢がたくさんあったのですが、俳優としてミュージカルに出れば、すべてが叶う。何にだってなれる。そう思ったんです」以来、俳優になるための努力を続けてきた。興味深い〝修行秘話〟を教えてくれた。古田は神戸の高校へ進学。「演劇部に入っていましたが、兵庫県内の高校などが参加する文化芸術祭があって、総合司会を任されたんです。高校二年のときでした」高校のダンス部と演劇部の生徒がステージで踊りを披露する直前。舞台の袖で振り付けの最終確認を指導者から受けていた生徒たちを見ながら、古田も同じ振り付けで踊っていると指導者が驚き、古田に声をかけてきた。「うちの教室に通いませんか?」と。古田が「教室に通うお金がないですから」と答えると、「月謝はただでいいから」と熱心に古田を誘ったという。27

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