KOBECCO(月刊神戸っ子)2024年8月号
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この曲を作るときに考えていたのは、恋をしてる時の気持ちって、明るいばかりじゃないよねってこと。一緒にいたら幸せなんだけど、ちょっとしたことで不安にもなるし寂しくもなる。松田聖子なら歌えるなと思ってた。ユーミンに作曲をお願いしたのは僕。出来上がった曲に詩をつける。僕にとってはいつもとは逆の仕事だった。メロディに合わせて「スイートピー」を選んで、花の色もメロディに合わせて「赤」に。『赤いスイートピー』はそうやって誕生したんだけど、僕は、赤い色のスイートピーがこの世に存在しないことを知らなかった。知ったのは、ずいぶん経ってからだと思う。誰も調べたりしなかったし、誰にも指摘されたことはなかったよ。今だったらどうなんだろうね。 この曲は、松田聖子にとっても大ヒットした。あの頃のテレビは歌番組がいくつもあって、ヒット曲は毎日よく流れていたからね、スイートピーの生産者が「それじゃあ赤い色を作ろう」ってことになったらしいよ。品種改良に時間がかかったみたいだから、その間、この歌がなくならなかったのはよかったね(笑)。※赤色のスイートピーの種は2002年発売。 摩耶ケーブルで『赤いスイートピー』の発車メロディが初めて流れたのは昨年かな。これも嬉しかった。大瀧詠一の故郷、岩手の駅で『君は天然色』が発車メロディになったと聞いた時、素敵だなと思ったから。ケーブルカーに乗って出かけるときに、幸福感がちょっとでも増したらいいね。花の種を蒔いたのは人生で初めてのことだった。「赤いスイートピーを線路の脇に咲かせよう」って友だちの慈くんが企画して、朝早く街の人たちと一緒に種を蒔いた。「半年くらいで咲きます」っていうから、歌と同じ、半年過ぎてからなんだなって思ってた。花が咲いてよかったね。幸せだなと思ってる。歌の中で咲いてた赤いスイートピーが本当に誕生して、僕が住んでる街で咲いたんだから。“線路の脇”でね(笑)。一生懸命、歌を作っていてよかったな。線路の脇に咲いた『赤いスイートピー』~神戸市灘区・摩耶ケーブル駅にて~21

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