ので挨拶に行った頃、今度は日本デザインセンターという有名デザイナーが大挙集結した会社ができる。まるで夢のような話です。そして6か月後に、僕はこの会社に田中一光さんの口利きで入社することになったのですが、その後も次々と遭遇する人達によって、思いもしない世界に運ばれます。目に見えない不思議な力の作用によって、ほとんどが、出会う相手の意志に従った結果で、僕自身が求めて切り開いていったものはほとんどなく、全て、受動的な状況と現象に従ってきました。自我を極力減らすことで、徹底した受動的行為によって、現在があると思います。僕の10代がその雛型を見せてくれたように思います。あとの大半の人生は、その10代の雛型に従う、つまり運命の導くままに行動してきました。大半の人が、未知に対する予想ができないので怖いと言いますが、僕は逆に未知に対する夢と期待をもつために、危険な目には一度も遭わなかったとを開催することになって、僕は架空のポスターを2点出品しました。ところが、この喫茶店にたまたまお茶を飲みにきた神戸新聞のデザイナーによって、僕は神戸新聞社のデザイナーとしてスカウトされたのです。デザインとか絵を職業にするなんて気持ちは毛頭ありませんでしたが、自分の意志というより相手の意志に従って、神戸新聞社に勤めることになったのです。完全に運命に翻弄されていますが、次々変化する状況に従って、成るように成っていっただけの話です。その間、先輩のデザイナーに勧められて、日本宣伝美術会という、日本で最も権威あるデザイン展になんとなく出品した作品が賞を取り、会員に推薦されたことが切っ掛けで、大阪のナショナル宣伝研究所に入ることになったのですが、この会社が翌年、東京に進出することになったために、思いも寄らず東京に行くことになり、大阪で少し面識のあったデザイナーの田中一光さんが東京に移っていた横尾忠則現代美術館美術家 横尾 忠則1936年兵庫県生まれ。ニューヨーク近代美術館、パリのカルティエ財団現代美術館など世界各国で個展を開催。旭日小綬章、朝日賞、高松宮殿下記念世界文化賞、東京都名誉都民顕彰、日本芸術院会員。著書に小説『ぶるうらんど』(泉鏡花文学賞)、『言葉を離れる』(講談社エッセイ賞)、小説『原郷の森』ほか多数。2023年文化功労者に選ばれる。横尾忠則現代美術館(神戸市灘区)にて『横尾忠則 寒山百得展』開催中。2024年8月25日(日)まで。いうか、成るように成ることにまかせてきたように思います。だから自分に起こる現象は、たとえ、病気であったりケガであっても、それらは運命のための不可欠なものであると認識してきました。そういう意味では、運命論者だと思います。自分に関わる事象をただ受け入れただけの話です。19
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