KOBECCO(月刊神戸っ子)2024年8月号
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るを得なかったのです。構造上そうならざるを得ないのです。一切の現象はそうなるように予定されていて、思うように変えることができないという説があるのです。時代の推移とか超越的な何かによって、そうなるように決まっているというのです。物事の成りゆきや人間の身の上に起こる数奇な力というか法則が働いた結果ではないでしょうか。このような現象を運命論というのかも知れません。ここには個人の意思が働く余地がないような気がします。こうなるより仕方がないのです。昔、テレビで女性の占い師が、占った結果に対して「こうなっちゃいましたんや」みたいなことを言っていたのを思い出し神戸で始まって 神戸で終る 運命の導くままにて、様々な現象を現出させられてきたように思います。言い方を変えれば、僕の意志によって行動してきたことはほとんどないように思うのです。最初の大きい働きは、僕を生んだ両親の元で育てられるのではなく、横尾家の夫婦によって育てられることになったのですが、このことに対して僕は僕の意志と無関係のところで、何かの意志の力の働きによって、僕は生みの親から離され、横尾家の養父母の元で育てられることになるのです。このことは僕にとって宿命だったわけです。宿命とは、その環境から逃れようとしても逃れることができないのです。そういう意味では、決定的な星のめぐり合わせによって、僕はそうならざ僕の生き方は、ほぼ10代で決まったように思います。どういうことかと言うと、1才から20才までの間、つまり10代でその後の人生のシミュレーションを見せられたような気がするのです。このことを説明するためには20才までにおきた様々なできごとを語るしかないのです。すでに、この『神戸で始まって神戸で終る』というエッセイの中で、小出しに語っていたことと重なるかもしれませんが、もう一度ここでおさらいをするつもりで再度語りたいと思います。ここで先ず結論から言ってしまいますと、20才までの僕の20年間の生活というか人生は、僕の意志とは無関係に見えない何かの力の働きによっTadanori Yokoo美術家横尾 忠則撮影:横浪 修16

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