た五月革命の最中。日本でも東大や日大でベトナム反戦と共に全共闘運動が起こった頃で、舞台は南フランスの田舎の村だ。地主のお婆さんが死んだので、長男のミルが離れて暮らす娘たちや兄弟家族を呼んで葬式の準備をするのだが、娘らは屋敷を売ろうとか遺産を分ける話をし始めるうち、ド・ゴール大統領もどこかに逃げたし、金持ち階級は殺されるという噂を聞くと、皆で森の洞に逃げ出すというドタバタ騒動をコミカルに描いていた。監督は20代であの傑作、『死刑台のエレベーター』(58年)を自主製作して有名になった才人、ルイ・マル。彼だから観たわけだ。この監督は五月革命の時、ヌーベルバーグ派の監督のゴダールやトリュフォーらと共にカンヌ映画祭に乗り込み、これはブルジョアジーの祭だと糾弾して開催を中止させた闘士の一人だった。当時、高校1年のボクは反体制的な世界を描く映画に夢中だったし、カンヌ粉砕の事態を映研の仲間から聞いて、「やってくれたな!そうやん、そんな金持ちの遊びか金儲けか知らんけど、映画に一等二等を決めるなんておかしいわ」と拍手したのを憶えている。それにつけても、60年代後半から70年代前半のアメリカンニューシネマは面白かった。現実を直視し、切り裂き、自由を渇望する映画が押し寄せてきた時代だった。ダスティン・ホフマンの、『卒業』(68年)は何度見ても画期的だし、20世紀初頭の西部の荒野を舞台に、個性派ロバート・ブレイク演じる先住民の青年をロバート・レッドフォード扮する保安官が追跡する、『夕陽に向って走れ』(70年)も胸に迫る、切ない青春映画だった。撮影の名手コンラッド・ホールの映像は抒情があった。昨今の映画で、抒情が伝わるロングショット画像はお目にかかったことがない。ドローンで撮った俯瞰画像に、ボクは感じるものは何も無い。90年の夏にもう一作、旅先の商店街にあった名画座で観た『ドライビング Mⅰss デイジー』もボクの心を和ませてくれた。人種差別の激しい大戦後から公民権が認められた70年代のアメリカ南部を舞台に、ユダヤ人のお金持ちの老婦人と黒人の運転手の交流が描かれる。二人とも偏見や差別に晒される時もあるが、生き抜いていく。モーガン・フリーマン扮する運転手が婆さんと遠出して、途中の道端で一緒にゆで卵を食べながらしみじみと語り合う。ボクも誰かとゆで卵を食べたくなった。情感が手に取るように分かる映画は勉強になった。入り組んだ筋立ても斜に構えた台詞もなく、人間のあり様をしっかり写していたからだ。今月の映画●『五月のミル』(90年)●『死刑台のエレベーター』 (58年)●『夕陽に向って走れ』(70年)●『ドライビング Mⅰss デイジー』(90年)47
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