KOBECCO(月刊神戸っ子)2024年7月号
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えのように勘違いしているに過ぎないのです。頭で考えるのではなく、自分の肉体を通して、様々なことを体験し、その体験の中から生まれた言葉と生き方が、その人の考えであります。言葉の豊富な人は、単に言葉をアクセサリーにしているだけで、そのような人と話したら、この人は軽い人だと思って、長時間共有することはないです。さっさと適当な理由をつけて、引き上げた方がいいです。そして、その人に好かれる必要もないのです。時には人を断捨離する必要もあります。できるだけシンプルな生活にした方がいいです。物知り博士を信用する人は、自分もどこかでその人と同化しながら、その人に憧れているのかもしれませんよ。自分は自分、自分らしい生き方をするのが、自分にウソのない正直な生き方ではないでしょうか。右を向いても左を向いても、現在はあらゆるメディアで言葉で封じるために、普段から頭の中を空っぽにする訓練をしています。観念と言葉に振り回されると、絵が描けないのです。絵は単に、描くという思いだけで描くようにしています。観念と言葉は、他者の考えの模写に過ぎません。暗記の得意な人が知識人で教養人です、と、そんな風に思えても、その人は自分の肉体を通して体験していないので、人の考えを暗記して、それをさも自分の考いけない時は、フンフンとうなずくだけで、心はそこにおかず、別のことを考えてその時間を流してください。相手と対等であろうとする気持ちが強いと、ついこういう相手に嫌悪感を感じますが、このことがかえってストレスになるので、早々に適当な理由をつけて、この場から立ち去るのも手だと思います。僕は絵を描く時、一番邪魔になるのが自分自身の観念です。だから、観念を「この私の考えの続きはどうぞご自分のテーマとして考えてみて下さい」『言葉を離れる』(講談社文庫)のあとがきより本書は講談社エッセイ賞を受賞18

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