KOBECCO(月刊神戸っ子)2024年7月号
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人は、「チラッと顔だけでも見せていただければ結構です」と。そして講演の当日、川端さんはステージに出ていって、「こんな顔でもよければ見てください」と一言、言ったきり、とうとう一言も話されなかったそうですが、この無言こそ多弁であったのです。観客は驚きながらも感動したのです。これは実話です。多弁でペラペラとよく喋る人がいますが、ただ言葉が多いだけで、まあ本人は陶酔しているのでしょうが、聞き終わったところ、何にも心に訴えるものがなかったという講演もあります。僕も一度、講演を得意とする知り合いの小説家の講神戸で始まって 神戸で終る 言葉は一番エラいのか?れば、言葉になりません。よく喋る人は思うことの多い人なのかもしれませんね。思いをひとつひとつ言葉に置きかえることで、その人は自分という存在を確認しているのかもしれません。なかには、いちいち自分を確認する必要のない人もいます。それはそれでいいのです。それがその人の生き方ですから。よく喋るからその人が立派な人で、社会的に認められる人とは思いません。喋らないことで立派な人もいるはずです。こんなエピソードがあります。ある人が川端康成さんに講演を依頼しました。ところが川端さんは、喋るのはニガ手だからと断りました。すると依頼した今回、編集部から与えられたテーマは『言葉』です。 言葉を多様にあやつるように話す人、内容がなくてもペラペラ喋る人は、学校でも会社でも評価されているように思います。特に、論破する人はカシコイと思われています。言葉を優位にあつかう人の前では、沈黙せざるを得ない。このような言葉の飛びかう日常の中で、何か言葉に対する意見は?と問題提起されてしまったのですが、僕は子どもの頃から口べたで、人前で話すのは今もニガ手です。言葉コンプレックスとでもいうのか、思ったことが言葉にならないのです。ということは、思うことがないのかもしれません。思うことがなけTadanori Yokoo美術家横尾 忠則撮影:横浪 修16

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