KOBECCO(月刊神戸っ子)2024年7月号
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和尚はグルームを温かく迎えたどころか、実業家の素質があり、ロマンチストとリアリスト、文学者と商人を兼ね備え、陰もあるが太陽がいっぱいの男とすっかり惚れ込んでしまい、ビジネス面のみならずプライベート面でもいろいろと世話を焼く。そして、ホームシック気味だったグルームの気持ちを慮ってか、一人の年頃の女性を紹介する。大阪・玉造の士族の娘で、名は宮崎直。この18歳の日本人女性にグルームは心を奪われ、ほどなく婚礼となった。その日は1868年9月22日と推察されるが、グルームの来日から1年も経っておらず、しかも出逢ってすぐのスピード婚だ。もちろんグルームが日本語を不自由なく話せる訳ではなく、直も英語を話せる訳がない。しかも法曹界の父に教師の母という英国でも厳格な家庭に生まれ育った新郎と、幕末とは言え権威ある侍の家で躾けられた新婦という取り合わせ。誰がどう見ても前途多難この上ないが、勇気と決心、そして深い愛で結ばれた二人は仲睦まじく、生涯いたわり合い、信じ合っていたという。新婚生活は善照寺の北隅に構えた新居ではじまった。英国人の妻となった直だが、一生丸髷と和服で過ごしたという。しかし、グルームは鬢付け油の香りが苦手だったようで、ワセリンで代用していたとか。やがてグルームと直は15人もの子宝に恵まれた。医療事情が良くなかった時代ゆえにうち6人は残念ながら育たなかったが、それでも7男2女の賑やかで幸福なファミリーを築いた。グルームの妻となった宮崎直 イラスト/米田 明夫129

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