KOBECCO(月刊神戸っ子)2024年7月号
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アーサー・ヘスケス・グルーム(Arthur Hesketh Groom)は明治元年(1868)頃、神戸の宇治川河口の弁天浜に上陸した。開港にあたって、幕府は日本人と外国人の接触によるトラブルを避けるため居留地を設け、欧米人の生活や活動の場をここに限定したが、神戸ではその整備が遅れ、グルームが来航した頃はまだ一軒の商家もなくて寂しいところだったようだ。彼はまず、東明村(現在の東灘区御影塚町一帯)の借家に滞在するが、六甲山を眼にしたのはその時が初めてだっただろう。ここの家主の高嶋平介は酒粕の仲介業を営んでいたが、翌々年の明治3年(1870)に焼酎の製造を開始し、これがみりんや「甲南漬」の高嶋酒類食品の創業となっている。前述の通り神戸では居留地ができていなかったので、生田川と宇治川の間のエリアを雑居地と定め、ここでの外国人の居留を認めた。日本人と外国人がともに暮らすこの雑居地の存在ゆえ、神戸では他都市に比べ住民と西洋人の交流の機会が多く、それがこの街のハイカラ文化に結びついている。しかし、東明村は雑居地ではなかったので、なぜそこにグルームが滞在できたのかは少し謎であるが、一時的な対応として認められたのかもしれない。そして程なく、グルームは雑居地内の元町通三丁目に佇む無碍光山善照寺へ移り、ここで厄介になる。開基は1585年、ルーツをたどると佐々木源氏に繋がるという由緒ある浄土真宗本願寺派の寺院で、境内にはバナナの木があったという。現在は山本通5丁目へ移転している。この善照寺へと来たことが、彼の人生の大きな転換点になる。住職の佐々木先住六甲山の父連載Vol.3A.H.グルームの足跡運命の出逢い128

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