KOBECCO(月刊神戸っ子2024年6月号
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館へ行っています。アポイントを取っていたら断られるだろうとアポなしで、朝一番の新幹線に乗って、震災の恩返しに来ましたと。そしたら「神戸からサムライが来てくれた!」と。それが神戸での避難者受け入れに繋がったのですが、どうしようかとみんなで会議とかしていたらこうはならなかったでしょう。八田 医師会も、阪神・淡路大震災から多くを学びました。それまでは災害時の医療対応はバラバラでしたが、震災後に兵庫県が主体となってJMAT(日本医師会災害医療チーム)を組織しました。このことは兵庫県の誇りだと思います。─今年の元日の能登半島地震でも出動したのですか。八田 JMAT兵庫は2週間あまり活動しましたが、その後が続かなかったのがちょっと残念でした。今回は道路状況が悪く、穴水までは何とか行けるのですけれど、その先の珠洲や輪島などでの活動が難しかったのです。久利 我々も能登へ支援物資を送りましたが、混乱で荷物が運送業者の金沢営業所で止まってしまったんですよ。こういう時は、どれだけ人間のネットワークがあるかが大事です。その先は現地の知り合いのネットワークを活用して、地元の人たちに営業所へ取りに行ってもらったんです。行政や医師会は対応に忙殺されていますから、それらを頼らずに自分たちだけの力で支援していこうと。被災者だけでなく、現地で支援活動をしている人たちのサポートにも心を砕いています。そういうことは被災しないとわからないことです。─災害医療で大切なことは。八田 平時から備え、連携することです。我々は近畿医師会連合や隣の徳島県と災害時相互支援協定を結んでいます。さらに、南海トラフのような広域災害にも備え、宮城県とも協定を結んでいるんですよ。地域間だけでなく、多職種連携の訓練を行って、もしもの時に備えるように今、準備しているところです。震災の経験を生かした対策を進めるだけでなく、それを全国に広げていきたいですね。「神戸気質」を大切に─普段からの関係づくりが大切なのですね。久利 KOBE三宮・ひと街創り協議会の「KOBE夢・未来号・沖縄」も震災がきっかけではじまった活動です。震災時、沖縄から大量かつ迅速に善意の物資が入ってきたんですね。彼らは戦災を経験していますから、被災地で何が必要なのかよくわかっているんです。そのお礼に我々がスポンサーとなって500名の市民を募り、「神戸はこんなに元気になりました」とごあいさつに行ったんです。その後、沖縄の子どもたちに復興した神戸を見せてあげてご恩返しするなど、次の世代の神戸と沖縄の交流を育んでいます。補助はいただかず街のお金だけでやっています。─街衆の心意気ですね。久利 三宮センター街は神戸の玄関口であって長男坊であると40

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