KOBECCO(月刊神戸っ子2024年6月号
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あるんです。そのことが私の原点ですね、一生懸命やらなきゃいけないと。─鴨居さんの絵をご覧になっていかがですか。久利 どの絵にも三振がなく、必ずヒットがあるんです。だめなものは自分で潰していましたから。玲さんに「どんな絵が良い絵ですか」と訊いたら、「品があるかないかだ」と答えたんです。酔っ払いを描こうか、くたびれた人間を描こうが、品があるかないかだ。人間もそれで判断しろと。八田 最初見た時に、鬼気迫るものを感じました。そして深刻さがあると言うか。一方でほのぼのとした作品もある。医者の眼から見れば、精神的な双極性障害があるのかなと思いましたけれど。久利 そういう面もありましたが、人を思いやる気持ちが本当に深い方なんです。息子の中学入学のお祝いに図書券をくださって、そこに手書きの手紙が添えられていたんです。「強くてやさしい人間になるように念じております」と。それをわざわざ持ってきて渡してくださいました。─印象に残った言葉はありますか。久利 玲さんに「商売一生懸命やりよ。一生懸命金儲けしいよ」と言われました。そしてその後についた言葉が「どう使うか見せてもらおうじゃないか」。そのひとことが、KOBE三宮・ひと街創り協議会での活動に結びついています。震災の経験を生かす─来年、阪神・淡路大震災から30年を迎えます。震災を通し感じたことは何ですか。久利 やはり常日頃の人間関係ですね。三宮センター街では震災直後、集合をかけていないのに三々五々みんな集まり、その日から夜警団を立ち上げました。警察も機能していませんから、自分らで守ろうと。そういう動きは、普段の付き合いがないと無理ですね。号令をかけなくても、みんながやるべきことを想定して動いたんですね。─まずは行動と。久利 あの状況では会議などしてみんなで決めてなんていうのは意味がないことです。現場での状況で、陸奥宗光の「他策なかりしを信ぜんと欲す」、ほかの誰でもこれ以上のやり方がなかったに違いないという意味ですけれど、その言葉を反はんすう芻して行動しました。─非常時は、逐一確認していては間に合わないですものね。久利 ウクライナの件でも、戦争がはじまって8日後に大使阪神・淡路大震災の経験を生かし、能登半島地震ではJMAT兵庫が出動した39

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