KOBECCO(月刊神戸っ子2024年6月号
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この日、取材した場所は大阪市内の大阪フェスティバルホールが入ったビルの一室。現在建つ新しいビルへ建て替わる前の旧大阪フェスティバルホールで2008年、同ホール史上初となる落語家の独演会が開催された。旧館が閉館する直前のファイナルイベントで、落語家として最初で最後の独演会に挑んだのが立川談春、その人だった。きっかけを聞くと、一人のシンガー・ソングライターの名を上げた。「実はさだまさしさんに、一度、このホールで落語をやるべきだ、と言われたんです。このホールで拍手を浴びてほしいと。他とは違うから。そう強く言われて」さだの落語好きは有名で、そのさだから熱心に勧められたのだ。同ホール閉館間際の〝ラストチャンス〟にそれが巡ってきたのだった。さだから言われた言葉の意味とは?「拍手が天上から振ってくるんですよ。あんな拍手は聞いたことがなかった。初めての経験でした」俳優として、映画やドラマの撮影現場に立つとき。「一つの映画やドラマで、これだけ多くのスタッフや共演者が動いてくれている。俳優としてこの場に立つ自分の責任は重い。いつもそうプレッシャーを感じています」片や、落語の独演会はたった一人で高座へ上がる。大勢の観客を一人で笑わせたり、泣かせたり…。そのプレッシャーたるや想像を絶するのだが、「すべては自分一人の責任。失敗も成功も…。その日の高座に賛否両論があっても当たり前。もう慣れていますよ」主戦場では、どんなプレッシャーにも動じない。言葉には出さないが、そんな矜持を感じさせる。日々弛まぬ努力を40年間、ずっと続けてきたからこそ語れる言葉だろう。さらに、続けた言葉に身が震えた。「古典落語はずっと同じ内容。でも世の中は絶えず変化している。20年前と今では価値観も違う。今は経済、つまりお金が大事。そんな時代ですが、かつてはお金よりももっと大事なものがあったのです。観客が同じ落語を聞いてどう受け止めるのか?賛否両論あって当たり前…」。その言葉の裏には、いくら時代が変わろうと、人の心が変わろうと、師匠から受け継いだ伝統を背負い、弟子へと引き継ぐだけ。ぶれない覚悟で…。40周年の次の構想はと問うと「45周年、50周年。その後もずっと…。一生、落語を続けていきたいですね」と謙虚に語る。落語家となって40年。第一線に立ち落語会を牽引してきたが、まだ道の途上にいる。公演日時はコチラ芸歴40周年特別企画立川談春 独演会会場:森ノ宮ピロティホール24

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