KOBECCO(月刊神戸っ子2024年6月号
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かすれている」とか「ふるえている」とかを、できるだけ画面に近づいて見てもらいたいのです。そこに画家の感情が、自然に表現されています。主題(テーマ)は、一種の借りものです。だから、寒山拾得を描こうとしているのではなく、仮に、寒山拾得を描いているに過ぎないのです。意味などないのです。でも大方の人達は、そこに意味を求めます。そして意味を語ろうとします。意味とは、知性と感性です。そんなものは僕には必要ないのです。何だっていいのです。何に見えたっていいのです。と、こんな風に言うと、逆に、見る人は考え込んでしまうかも知れません。例えば、食べ物は、美味しいものは美味しいでいいのです。そこに意味などありません。だから僕の絵について考えることは意味のないことです。知性は必ず意味を求め、物事を分別します。いいとか、悪いとかに。そんなことする必要ないのです。無分別でいいのです。だけど知性に憧れているから、皆、分別してものを見るのです。これって間違ったいのです。絵具と筆の動きを見ていただきたいのです。「ああ、絵具がかすれている」とか「絵具が盛り上がっている」とか「筆が走っている」とか「筆がかと思考します。でも、僕の作品は、思考の結果、生まれたわけではないのです。「何を描いているか?」ではなく、「如何に描いているか」を見ていただき《2023-06-27》2023年 作家蔵18

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